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「ワンコとはしません!」火崎勇(ill:角田緑)

あらすじ
子供の頃、隣の家に住んでいたお兄さん・仁司のことが大好きだった花岡望。一緒に愛犬タロの散歩にいって、毎日のように遊んでくれる彼を慕っていたが、突然仁司の一家が引っ越してしまう。さらに同じ日にタロが事故に遭い、死んでしまった。そして大学生になったある日、望はバイト先のカフェで会社員になった仁司と再会する。自分のことを覚えていてくれた仁司としばらく楽しい時間を過ごしていたが、タロの遺品である首輪を見せた途端、突然望の顔を舐め、「ワン」と鳴き——!?

本文より抜粋

「……タロ?」
 俺はおそるおそるその名を呼んでみた。
「ワン!」
 するとそれに応えるように彼が大きく吠える。
 それを聞いて、俺は顔を引きつらせた。
「う…そ…。仁司さん、冗談ならもうわかったから、やめていいですよ?」
 けれど彼は俺の言葉など聞こえていないかのように、またむしゃぶりついて俺の耳を舐めた。
 …耳を舐めるのは、タロの癖だった。
 子犬の頃から、俺の指や耳を舐めるのが好きだったのだ。
 でも何で?
 悩んでいる間にも、仁司さんは俺に擦り寄ってきた。
 これが本当にタロだったら、何とも思わなかっただろう。ただじゃれてるだけと思えただろう。けれど今俺にのしかかって顔を舐め回しているのは、仁司さんなのだ。
 大人の男の人なのだ。
 どうしたって、じゃれてるというより襲われてるという気持ちになってしまう。
 相手にその気がなくても、こっちは…。
「タロ! ステイ!」
 俺は昔を思い出して大声で制止を命じた。
 すると、ピタリと彼の動きが止まる。
 俺の上で、俺の顔を覗き込みながら、次の命令を待っている。
「タロ…?」
「ワン!」
 名前に応えて一声上げる。
「本当に? だって…、なんでお前が…」
 まさか本当に?
 でもそれ以外の理由が考えつかない。タロの幽霊が仁司さんに憑いてるってこと以外には。
 どうして?
 タロが事故で亡くなってから今まで、幽霊の『ゆ』の字もなかった。気配を感じたこともなかったのに。
 俺に、霊感がなくて、仁司さんにはあるってこと? ひょっとして、お前はずっと俺の側にいてくれたの? でなければずっと仁司さんの中に?
「タロ…」
 頬に触れてやると、愛しそうに擦り寄ってくる。
「タロ…」
 それが本当にタロみたいで、俺はぎゅっと抱き締めた。
 でも違う。相手は犬ではなく、仁司さんなのだ。
 抱き締めたせいで、『待て』が終わったと思ったのか、タロは再び顔を近づけ、また俺の耳を舐めてきた。
 犬の舌なら平気だったことが、子供の頃にはくすぐったいだけだったものが、別の感覚を与える。
 荒い吐息と触れる鼻先。人の舌は犬のより短いから、密着感が凄くてヤバイ気が…。
「よせ、ばか…!」
 俺が制止の言葉を再び口にし、仁司さんが俺の耳をぱくりと甘噛みした時、高い電子音が部屋に鳴り響いた。
 彼の動きが止まり、目の色が変わる。
 キラキラと喜びを映した子供みたいな目が、しっかりとした強い瞳に変わる。
「…望?」
 声が、訝しみながら俺を呼ぶと、パッと身体が離れた。
「え…? 俺…? いや、ちょっと待ってくれ」
 これは…、仁司さんだ。
 仁司さんは弾かれたように部屋の隅へ行き、ズボンのポケットから携帯電話を取り出した。鳴り響いていたピーピーという電子音は彼の携帯の呼び出し音だったのか。
「はい、もしもし。…ああ、言った。いや、それはかまわないんだ」
 彼が離れても、胸がドキドキしていた。
 中身はタロだったと思うけど、実際は仁司さんに耳を舐められたのだから。
「今ちょっと取り込み中だから、その件は明日社で聞く。ばか、そんなんじゃない。とにかく、明日にしてくれ」
 電話を切ると、仁司さんは離れたところに立ったまま俺を見た。
 難しい顔をしてため息をつき、バリバリと頭を掻き毟る。
「その…。俺、今望に何してた…? 上にのってキスを…」
 言いかけてまた頭を掻く。
「ごめん、酔ってるわけじゃないんだが、記憶がなくて。ここんとこ忙しくてゆっくり休めなかったから寝ぼけてたのかも。別に変なつもりじゃ…」
 自分のしたことに混乱してる彼に、俺は慌てて説明した。