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「神さまには誓わない」英田サキ(ill:円陣闇丸)

あらすじ
何百万年生きたかわからないほど永い時間を神や悪魔などと呼ばれながら過ごしてきた、腹黒い悪魔のアシュトレト。そんなアシュトレトは日本の教会で名前の似た牧師・アシュレイと出会い、親交を深める。しかし、彼はアシュトレトが気に入っていた男・上総の車に轢かれ、命を落としてしまう。アシュトレトはアシュレイの5歳の一人娘のため、柄にもなく彼のかわりを果たすため身体に入り込むことに。事故を気に病む上総がアシュレイの中身を知らないことをいいことに、アシュトレトは彼を誘惑し、身体の関係に持ち込むが…。

本文より抜粋

 上総の悲痛な叫びに混じって、幼い女の子の泣き声が聞こえてくる。
「パパ、パパァ……っ」
 泣きじゃくる声を聞いて、俺は一瞬足を止めた。まさか。まさか、そんなことは──。
 そうあってほしくないという気持ちで足を進めた。近づいていくと、車の向こうに倒れている男の足が見えた。
 黒いスラックス。見覚えのある革靴。俺は確信を持って車の向こうに回り込んだ。
 上総の車に轢かれたのは、やはりアシュレイだった。仰向けに倒れてぴくりとも動かないアシュレイの胸に、マリーがしがみついて泣いている。ピンクの小さな傘が後ろに転がっていた。
「パパ、起きて……っ、ひっく、パパ、パパ……っ」
 上総は激しく動揺していて、「け、携帯、救急車を、警察も……」とぶつぶつ言いながら自分の身体をまさぐっていた。携帯電話はおそらく車の中にでも置いてあるのだろう。気が動転してわからなくなっている。
 アシュレイは瀕死の状態だった。力を使って肉体をサーチしたら、大腿骨と脳をひどく損傷していた。人は死ぬと魂が肉体から抜け出るが、離脱するまでにいくらかのタイムロスがある。俺はそのタイムロスに賭けて、すぐさまアシュレイの怪我を治そうと試みた。
 数秒でアシュレイの肉体の損傷はきれいに修復された。だが間に合わなかった。完全に修復を終える寸前に、彼の魂は肉体から出ていってしまったのだ。
 ──アシュレイ。行くな。自分の肉体に戻れ。
 アシュレイの魂に呼びかけたが、彼には聞こえなかった。アシュレイは敬虔なクリスチャンだ。人が死ねば、その魂は神のもとに行くと信じている。
 その信仰に基づき、彼の魂はするすると上昇し、やがて俺の目にも見えなくなった。次に会える時、彼は別の肉体を持ってこの世に生まれ変わり、マリーのことも覚えていないだろう。
「パパ、起きて……っ、パパ……っ」
 アシュレイの死体にしがみついて泣いているマリーが憐れだった。それにアシュレイを轢いてしまった上総も、憐れと言えば憐れだ。善良な男だが人を死なせてしまった以上、罪は免れない。
 待てよ、と俺は考えた。上総が警察に捕まれば、もうあのケーキが食べられなくなる。それは困る。非常に困る。まだ全種類を制覇していないのに。
 それにマリーにはアシュレイしか家族がいない。施設にでも行かされたら不憫だ。何よりこの子に会えなくなるのは、俺自身が寂しい。
 五秒ほど考えて、俺は決めた。この方法は好きではないが、背に腹は代えられない。
 深く息を吐いて瞼を閉じる。
 ──集中。意識の凝縮。 一瞬の転化だった。次に目を開けた時には、俺はずぶ濡れで地面に横たわっていた。自分を見下ろしているマリーの泣き顔と、上総の驚いた顔が見える。
 さすがは俺。少々難しい作業だったが上手くいったようだ。
 俺はポールの肉体を離れてアシュレイの死体の中に入り、同時にポールをニューヨークに返した。もちろん記憶は操作しておいた。
 今頃、ポールは自分の部屋にいて、どうして室内で傘を差して立っているのかわからず、首を捻っているだろう。
「……マリー。そんなに泣くんじゃない。パパなら大丈夫だよ」
 微笑んで、雨と涙に濡れたマリーの頬を撫でる。
「パパ……!」
 マリーは叫んで抱きついてきた。俺は身体を起こし、マリーを抱きかかえて立ち上がった。何事もなかったかのように動きだした俺を見て、上総は呆然としている。
「娘が風邪を引いてしまう。帰らせてもらうよ」
「あっ。ま、待ってください……! すぐに救急車を呼びます。それに警察も」
「必要ない。私ならこのとおり、ぴんぴんしている。どこも怪我などしていない」
 転がったアシュレイの傘を拾い上げ、マリーの上に掲げた。
「で、ですけど……」
 上総は信じられないといった顔つきで俺を見ていた。
「いいんだ。本当に問題はないから、救急車も警察も呼ばなくていい。面倒ごとはごめんだ。私のことは放っておいてくれ。失礼」
 俺は上総をその場に残し、マリーを抱いて歩きだした。