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「咎人のくちづけ」夜光花(ill.山岸ほくと)

あらすじ
高名な魔術師・ローレンの元に暮らしていた見習い魔術師のルイ。彼の遺言で森の奥からサントリムの都に出てきたルイに与えられた仕事は、隣の国・セントダイナの第二王子・ハッサンの世話をすることだった。無実の罪で陥れられ、亡命したハッサンは、表向きは死んだことにして今ではサントリムの『淵底の森』に匿われていた。物静かなルイを気に入ったハッサンは徐々にルイにうち解けていく。そんな中、セントダイナでは民が暴動を起こしており…。

本文より抜粋

「何故という顔をしているな。それを言うならお前もそうだろう。お前はこんな仕事をしなくてもよかったんだ。お前には何の利益もない。俺はお前が無事連絡係を務めたら、金銀財宝を与えるとでも言ったか? いや何も言ってない。お前は俺の忠実なしもべでもなく、セントダイナの民ですらない。それなのに俺が頼んだらお前はやると言ってくれた」
 ハッサンの手がぎこちなくルイの頭に触れた。節くれだった指がルイの髪を撫でていく。
「俺は、人は自分の利益がなければどんな行動もしないという信条を持っている。だがお前はそれに当てはまらない。それは多分、お前に獣の血が流れているからだな」
 潜めた声で言われ、ルイはどういうわけか咽がひりついた。ハッサンの目は言葉以上に何かを伝えようとしている気がして、それを理解しようと必死だった。空気が張りつめた気がして、髪に触れているハッサンの手の熱さが伝わってくるようだった。
「お前は人であって人ではない。だから俺は信じられる」
 それはどういう意味かと聞き返そうとした時、ハッサンの腕がルイの身体を抱きしめてきた。力強い腕がルイの背中に回っている。昔ローレンも時々こうしてルイを抱擁した。だがそれとはぜんぜん違うとルイは感じていた。ローレンとは違う若い男の匂い。ルイを抱く手の強さもまったく違う。何よりもハッサンの鼻先がこめかみの辺りに触れていて、それがたまらなく胸をざわめかせた。
 身体をくっつけ合っていると、胸が高鳴ってひどく落ち着かない。互いの吐く息が気になるし、身じろぎひとつするのすら怖い。
「俺にこうされるのは嫌か?」
 ハッサンの腕の中で大人しくしていると、耳元で囁かれた。
「嫌……ではありませんが、落ち着きません」
 ルイが素直な気持ちを打ち明けると、ハッサンがかすかに笑った。
 ハッサンはしばらくルイの体温を確かめるように身体を離さなかった。ハッサンの鼓動を聞くのは悪い気分ではなかった。密着していると、毛布に包まれるより暖かい。
 静かな空気が流れた。ハッサンが抱きしめる腕を解いたので、もう解放されるのかと思いルイはハッサンの肩辺りにもたれていた顔を上げた。
「お前の目は綺麗だな」
 後頭部を撫でていたハッサンの手が、ルイの前髪を掻き上げる。むき出しにされた額にハッサンの顔が近づいてきたので、ルイはハッとして身を固くした。柔らかな唇が額に触れて、ルイは痛みを感じると思い、歯を食いしばった。──ところが、ハッサンが唇を離しても、あるはずの痛みがない。
「……どうした?」
 ぽかんとしているルイにハッサンがいぶかしげに聞いた。ルイは自分の額に手を当て、起こるはずの痛みがなかったことに戸惑った。
「痛くなかったので驚いているのです。……ここは以前怪我をした場所で」
 ルイは自分の額に触れて呟いた。前に大怪我をして以来、額に触れられるのが嫌でたまらなかったのだが、いつの間にか治っていたのだろうか? ハッサンの唇が触れても痛みは何もなかった。
「だから前も嫌がっていたのか?」
 ハッサンに合点がいった様子で聞かれ、ルイは曖昧に頷いた。
「不思議だな、ここには何かの力が宿っているように俺には見える。怪我をしていたのか。傷跡はないようだが」
 再び額に触れて、ハッサンがルイの髪をさらりと震わせた。もう一度触れられても痛くない。ルイは不思議な気分でハッサンを見つめた。ハッサンはルイの視線を受け止め、ふっと困ったように小さく笑った。ハッサンの顔が近づいてきたと思う間もなく、唇にハッサンの唇が重なった。ハッサンの熱が敏感な場所を通ってルイに流れてくる。
「……どうして口づけを?」
 ルイはハッサンの行為の意味が分からなくて、首をかしげて聞いた。口づけは軽く触れただけでそれ以上は何もなかった。
「したくなったんだ。俺にもよく分からない」
 ハッサンは熱い吐息をルイの頬にかけて、ゆっくりと身体を離した。どこか名残惜しげな表情だったので、ルイはまた落ち着かなくなった。
「明日は早い、もう寝ろ」
 思いを断ち切るようにハッサンが立ち上がり、短く告げた。ルイは小部屋から去っていくハッサンの後ろ姿を見送った。