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「シンデレラの夢」妃川 螢(ill:麻生 海)

あらすじ
――僕を疑っているんですか!?――
 祖母が他界し、天涯孤独の身となった大学生の桐島玲は亡き祖母の医療費や学費の捻出に四苦八苦していた。そんな折、受験を控えている家庭教師先の一家の旅行に同行して欲しいと頼まれる。高額なバイト代につられてリゾート地の海外に来た玲は、スウェーデン貴族の血を引く製薬会社の社長・カインと出会う。夢が新薬開発え薬学部に通う玲は、彼の存在を知っていたが、そのことがカインの身辺を探っていると誤解され…。

本文より抜粋

「ランチはひとりで食べてくれ」
 エリクに言って、それから「部屋まで送ろう」と玲に手を伸ばしてくる。
「え? あの……?」
 言われた言葉の意味を理解する前に、横たえていた身体が浮いた。
「わ……っ」
 驚くあまり、条件反射でカインの首にしがみついてしまう。慌てて腕を放したら落っこちそうになって、またもしがみつくはめに陥った。
「ちゃんと捕まってないと危ないよ」
 そんな忠告の言葉を残して、エリクはレストランへ消えた。玲を抱き上げたカインはというと、玲の意思など確認する気もない様子で、大股にプールサイドを横切る。
「あ、あの、自分で歩けますから」
 間近に迫る美貌を直視できなくて、瞳を伏せたまま、下ろしてほしいと訴えた。だが、玲の弱々しい訴えは紳士の鼓膜を素通りして、しかもどういうわけか教えてもいないのにまっすぐに部屋に連れられてしまう。
 部屋のテラスから直接プールに出られるつくりになっているのだから、その逆も可能で、カインは玲を抱いたまま、テラスから部屋に上がった。
 カインが何者か知っていても、よもやこのホテルの筆頭株主であることまで、玲の知るところではない。ゆえに、このホテルの構造がすべてカインの頭に入っていることにも、思い至れるわけがなかった。
「不用心だな」
 テラスに通じる窓は開け放たれたまま。ガーデンテーブルの上には、まだ瑞々しいフルーツの盛られた皿とミネラルウォーターのボトルが置かれている。
「……すみません」
 つい謝ると、カインが怪訝な視線を向けた。宝石のように澄んだアイスブルーの瞳が、その中心に玲を映す。日本人のこういう感覚は、どう言葉を尽くしても、きっと他国の人にはわからないのだろうなと思いながら、玲はその瞳を見つめた。
「ソファに下ろしていただけますか」
 ベッドルームに運ばれそうになって、玲は慌てて希望を伝えた。カインは、寝ていなくて大丈夫なのかと言いたげに眉根を寄せたものの、何も言わずソファに下ろしてくれる。
 ソファとはいっても、パイプベッド以上の広さがある大きなものだ。ここで横になっていれば充分だ。
 玲をソファに下ろしたカインは、部屋の冷蔵庫からよく冷えたミネラルウォーターを持ち出して、グラスとともにローテーブルに置く。
「何から何まで、ありがとうございます」
 もう充分だからと恐縮する玲の遠慮が通じているのかいないのか──たぶん通じていないのだろうが──自らもソファに腰を落として、そして玲の肩を軽く押した。
 クッションを抱えた恰好で、玲はソファに転がされる。大きな手が熱の有無をたしかめるように額に添えられて、そしてすぐに離れた。
「わかっているだろうが、こういうときは休息が何よりの特効薬だ」
 薬は結局、対症療法でしかないからな、と製薬会社のトップらしからぬことを言う。それは、医薬品開発に携わるがゆえの、真摯さのように玲には感じられた。
「たとえ市販の風邪薬でも、劇薬だと胸に刻んでいるつもりです」
 薬学を志す者として、薬が絶対ではないことは、まず最初に知るべき事実だと玲は考えている。もちろん現代医学が万能ではないこともわかっている。
「それは賢明だ」
 玲の返答がお気に召したのか、カインは満足げに頷いた。
 そこで会話は途切れ、じっと見下ろすアイスブルーの瞳と、それを戸惑いとともに見返す玲の眼差しとが絡む。
 助けてもらっておきながら、用が済んだのなら出ていってくださいと言うのも妙だし、かといってカインの視線の意味もわからない。
 どうしたものかと考えて、玲は身体を起こした。まだちょっと頭がふらつくが、カインの腕に倒れ込んでしまったときよりはずっとましだ。
「お茶淹れますね。それともコーヒーのほうがいいですか」
 自分が回復したとわかれば、カインも腰を上げるだろうと思ったのだ。だがカインは、「寝ていなさい」と、玲の腕を取ってソファに引き戻してしまう。
「でも……」
「気分が悪いと言ったのは、嘘だったのか?」
 妙なことを言われて、「もちろん本当ですけど……」と玲は口ごもる。アイスブルーの瞳に、思いがけず強い色が浮かんでいるのを見て、それ以上の返す言葉を失った。
 玲がおとなしくなったのを見て、カインはようやく腰を上げる。
 だが、ホッと安堵したのも束の間、ふいに視界が陰って、玲はドキリと視線を上げた。いったんは遠のいたはずのアイスブルーの瞳がすぐ間近にあって、驚きの声もなく目を瞠る。
 その眦に、さりげなく落とされるキス。
「またゆっくり話そう。──ふたりきりで」
 意味深な言葉を残して、カインは部屋を出ていく。その広い背中を、玲は呆然と見送った。
 瞳を瞬いて、口づけられた場所にそっと指を這わす。
 ──うわぁ……。
 すごい。ハンサムな外国人というのは、本当にああいう仕種がさまになるものなんだ……と、ちょっとずれた感想を抱きながら、耳元に落とされた低く甘い声を反芻する。
『──ふたりきりで』
 トクリ…と、これまでに経験のない音を立てて、心臓がひとつ鳴るのを聞いた。