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「略奪者の純情」バーバラ片桐(ill.周防佑未)

あらすじ
飲食業界で社長秘書を努める井樋響生には、気がかりなことがある。それは、荒賀組の若頭である荒賀侑真が、響生の会社に現れたことだ。荒賀とは小学校からの幼なじみで、学生時代には唯一の友人だったが、十年振りに再会した彼は冷徹で傲岸不遜な男に変わっていた。そんな荒賀に会社の悪評を流され、連日マスコミの対応に追われる響生。社長の宮川に恩を感じている響生は、会社の窮地を救おうと奔走するが、荒賀に「手を引いてほしければおまえの身体で奉仕しろ」と脅迫されて…!?

本文より抜粋

 荒賀に翻弄されている。驚くほど冷たい目をしたかと思えば、その直後に気遣うようなことを言ってくる荒賀の心が、まるで読み取れない。思い出してみれば、昔から響生は荒賀の心がつかめず、その気まぐれに翻弄され続けてきた。
 巧みに言葉を操る荒賀にごまかされて、卒業するまで何を考えているのかわからないことばかりだった。
 結局、この関係は今でも変わらないものだと諦めて、荒賀の腕を振り払い、その前から抜け出そうとしたときだ。強い力で肩をつかまれて、壁に押し戻された。
 ──え……?
 背中への衝撃に、あらためて息を詰めてまじまじと荒賀を見る。
 昔から響生は勉強ばかりで、ケンカなどしたことがない。手を出す必要が全くなかったのは、荒賀がそばにいたためだろう。
 荒賀は異様に強いと噂されていたものの、暴力を振るう姿を見たことがなかった。そんな荒賀に肩をつかまれてぐっと壁に押しつけられただけで、まるで動けないことに驚く。そのことに焦って身じろぐが、身体に力が入らない。
 そんな響生を嬲るようにのぞきこんできた荒賀が、声を潜めた。
「おまえは何のために、ここに送り届けられたのか、まだわかっていないのか」
 眼鏡の向こうの目が、すうっと細くなっている。
 笑顔は崩されていないのに、ひどく不穏な予感がした。
 喉元に空気の塊が押しこまれたようになって、呼吸がしにくい。蛇ににらまれた蛙のように、自分がすくみ上がっているのがわかった。それでも荒賀に弱い部分を見せたくなくて、声が震えないようにしながら、響生は言い返す。
「書類を届けるためだよ……っ。離せ、バカ……!」
「おまえが届けるのは、書類じゃない。社長は、何と言った」
「だから、社に不当な要求はするなって言ってんだろ……!」
「あくまでもわからないフリをするつもりか? それとも、本気でわかってないのか、バージンちゃん」
 男相手とは思えない言葉を投げつけられて、響生は大きく目を見開いた。
「今、……何て……」
 確かに自分には性的な経験はなかったが、そんな言葉でからかわれたくない。
 怒りのために全身が熱くなっていく響生を観察しながら、荒賀が声を一段と潜めた。
「おまえがここに来た役割を、もう一度考えてみろ」
 荒賀の目が顔や身体を舐めるように見ていることに気づいて、響生は弾かれたように震えた。
 ──まさか……。
 そういう役割のために、自分は荒賀の元に届けられたとでも言いたいのだろうか。
 社長を侮辱されている気がして、響生は叫ぶように言っていた。
「離せ……っ! 社長が、……そんなこと約束するはずがない……っ!」
 前に会ったとき、社長に可愛がられているだの何だのと荒賀にからかわれたことを思い出す。この容姿のせいで、響生はその手のからかいを受けることがたまにあった。
 だが、社長にかぎってその手の汚いことに手を貸すとは思えない。自分の信じていたものを冒涜された気持ちになってがむしゃらに身体に力をこめたが、荒賀の腕は鋼鉄のようにビクともしなかった。
 だが、不意に荒賀が腕の力を抜く。「っう、わ!」
 こめていた力のせいで、響生はバランスを崩して前につんのめった。一歩踏み出したときに毛足の長い絨毯に足を取られ、突っ伏す形で床にしたたかに胸を打ちつける。
 その痛みのために立ち上がれずにいると、響生の背に荒賀が膝をかけた。
 ──え?
 ぐっと重みがかかってくるのと同時に腕を背後からつかまれ、ぐいっとねじ上げられる。その痛みにうめいて動けなくなったとき、手首に何かが巻きついてきた。
「何…を……っ」
 返事はない。
 身じろぎするだけで広がる痛みが怖くて息を詰めているうちに、両手首を背中で固く縛られる。手首に食いこむ固い布地の感触は、荒賀のネクタイなのかもしれない。
 自由を奪われたことで、不意に恐怖がこみ上げてきた。荒賀は自分に害を与えることはしないと当たり前のように信じこんでいたが、さきほど見せた冷たい目を思い出しただけでその前提が崩れそうになる。何故こんなことをされるのか、荒賀の意図がいまだに理解できない。