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「おとなの秘密」石原ひな子(ill.北沢きょう)

あらすじ
男らしい外見とは裏腹に温厚な性格の恩田は、職場で唯一の男性保育士として日々奮闘していた。そんなある日、恩田は保育園に息子を預けに来た京野と出会う。はじめはクールな雰囲気の京野にどう接していいか分からなかったものの、男手ひとつで慣れない子育てを一生懸命やっている姿に惹かれていく恩田。そして、普段はクールな京野がふとした時に見せる笑顔に我慢が効かなくなった恩田は、思い余って告白してしまい――!? ワンコ保育士×子連れパパの不器用ラブ!

本文より抜粋

  賢のうれしそうな顔を見たら、自分だけ乗らないとは言いにくかっただろう京野の気持ちは理解できる。
「いや、ジェットコースターと違ってゆっくりだし、風もこないし、大丈夫かもしれないと思ったんです。でもやっぱり無理でした」
「目をつぶれば、少しは楽になりませんかね」
「いえ、それもなんか……、見えないのは、かえって不安です」
 つらい状況に立たされている本人にしてみたら、たった十分でもとてつもなく長く感じるだろう。
 少しでも恐怖を和らげるためには、どうすればいいのだろう。
 恩田は中学二年生のときの林間学校で行われたきもだめしや、高校生のときに友人たちと入ったお化け屋敷の場面を思い返してみる。または公園など外に遊びにいって散歩中の犬に遭遇したとき、犬が恐い園児たちはどのような行動を取るのか。
 友人たちは出口まで恩田にぴったりと貼りついていた。子供たちは恩田の足にすがりついた。
 その光景が頭をよぎったときにはもうすでに、恩田の体は動いていた。京野の背中に腕を回し、顔を自分の胸に押しつけるようにして視界を遮ってやる。
 今恩田にできるのは、京野を抱きしめてやることだ。
 恩田には恐怖症がないから、京野の気持ちは汲んでやれなかった。しかし体が小刻みに震えているのが直に伝わってきて、抱きしめる腕に自然と力が入る。
「え……、ちょ、ちょっと」
 急に抱き寄せられた京野は、さすがに驚いたらしくて声がひっくり返った。
「見えないのが不安だったら、その分なにかに触っていたほうが安心できませんか?」
 大丈夫だ、というように、恩田はさらに京野を引き寄せた。見た目どおりの華奢な体つきで、下手したら骨を折ってしまいそうだ。
「目を閉じて、それで、僕にしがみついてください」
 恩田は子供たちに聞かれないよう小さな声で言った。しかしさすがに抵抗があるのか、京野は恩田の腕の中でがちがちに固まったままだ。
「おとうさん、どうしたの?」
 父親の異変を察知した賢が尋ねてくる。
「い、いや、これは……っ」
 子供に見つかってまずいと思ったのか、京野は慌てて恩田から離れようとした。しかし恩田はすかさず腕に力を込め、京野の動きを阻む。
「お父さんね、乗り物に酔っちゃったみたいなんだ。賢くんは乗り物に乗って気持ち悪くなったことはない?」
 恩田が質問すると、賢は首を左右に振った。
「バスでえんそくにいったら、おとなりのせきのしんちゃんが、きもちわるいっていってた」
「そうだね。今のお父さんはそのしんちゃんと同じみたい。だから先生が支えてあげているんだ。おしゃべりはしていいけど、ぴょんぴょん飛び跳ねたりお席の交換はなしにしよう。お約束できる?」
「はい」
 子供ながらに、元気がない父親を見てなにか感じることがあったのだろう。賢と甥は素直にうなずいた。
「おとうさん、だいじょうぶ? おりたらおくすりかいにいこうね」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう。しばらくしたら治ると思うから、薬は大丈夫だ」
 京野が目を見てしっかりと伝えると、賢は納得したらしい。しばらくは神妙な顔をしていたが、甥と突き合いをしているうちに、すぐにまた二人で遊び始める。
 泣いている子供をあやすときみたいに、恩田は京野の背中をゆっくりとなでてやる。
 子供たちの意識が自分から逸れてほっとしたのか、または恩田が介抱してやっているということを素直に受け入れたからなのか。京野がおずおずと恩田の体に両腕を回してきた。外の景色を完全に排除するために、目をぎゅっと閉じた上、顔を恩田の胸に押しつける。
 ふんわりと、ほのかにいい匂いがする。京野は香水をつけるタイプには思えないし、洗剤か柔軟剤か、その手の香りなのだろう。凜としていて孤高そうな京野のイメージどおりの、清潔なイメージだ。
 恩田は鼻から息を大きく吸い込む。全身を京野の匂いに包まれ、温もりを感じて手のひらが汗ばんでくる。ワキの下もびっしょりだ。
 やましい感情はこれっぽっちも持っていないのに、恩田は変に意識してしまう。京野は男なのに。