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「恋もよう、愛もよう。」きたざわ尋子(ill:角田緑)

あらすじ
カフェで働く上島紗也は、同僚の洸太郎から兄の逸樹が新たに立ち上げるカフェの店長をしてくれないかと持ちかけられる。実は、逸樹は憧れの人気絵本作家であり、その彼がオーナーでギャラリーも兼ねているカフェだと聞き、紗也は二つ返事で引き受けた。しかし実際に会った逸樹は、数多くのセフレを持ち、自堕落な性生活を送る残念なイケメンだった。その上逸樹は紗也にもセクハラまがいの行為をしてくるが、何故か逸樹に惚れてしまい…。

本文より抜粋

「ねぇ、紗也。君が泣くのは、僕のことが好きだから、だよね?」
「違っ……」
「駅前で、僕たちのこと見てたでしょ。ショックだった?」
 ひゅっと息を呑み、紗也は大きく目を瞠った。気付かれていたなんて思わなかった。逸樹は一度もこちらを見なかったはずなのに。
 どうして、という思いが胸の内に渦巻く。身体が震えないようにするのでせいいっぱいだった。
「あの子は思いこみが激しい上に、言いたいこと言っちゃうから、当たりがきつかったでしょ」
「……別に」
 目を閉じ、逸樹を見ないようにしてから、紗也は素っ気なく言った。衝撃が大きくて、虚勢を張る気も起きなかった。
 長い指が、さらりと紗也の髪を梳いた。
「もう来ないから、安心して」
「は? なん……で?」
 思わずまた目を開けて、逸樹をまじまじと見つめる。
「紗也が嫌かなと思って」
 甘い顔で微笑み、彼はさも当然だと言わんばかりに言ったが、紗也のなかの疑問は増える一方だ。逸樹の考えがまったく読めなかった。
「え、だって……」
「あの子が一番の困ったちゃんだから、あとは楽だと思うよ。あ、ちゃんとフォローもしておいたから、大丈夫。自尊心をくすぐっておけば、乗せられて引っこみがつかなくなるからね」
「な……なんの、話?」
 混乱を抱えたまま、掠れた声で問いかける。逸樹のペースで話されても、紗也にはまったくついて行けないのだ。
 そこでようやく、逸樹はにっこりと笑って言った。
「例の携帯の登録をゼロにしてから解約するって話。もう半分以上は消えたんだよ。だいたいは電話ですむんだけど、なかには直接会ってじゃないと納得しないって子もいてね。もうちょっと時間かかりそうだな」
「……は?」
 ぽかんと口を開ける紗也を、逸樹は実に楽しげに見つめている。まるで悪戯が成功した子供のような顔だ。
「今日の子の番号も消したよ」
「や……約束……」
「ん?」
「約束してたんだよな? 今日、それで待ちあわせて……」
「そう。別れ話のためにね。納得させるのに三時間以上かかるとは思わなかったけど」
「わ、別れ、話……」
 たどたどしい言葉になっているのは、混乱して頭がうまくまわらないせいだ。予想を覆すことを次々と言われ、いまだに処理が追いつかない。
 すでに逸樹の独擅場だった。
「恋人……じゃなくてセフレ全部と別れることにしたから」
「え、え……?」
「本当は駅前で紗也に気付いたとき、駆けよって抱きしめたかったんだけどね。そんなことしたら台なしだから我慢したんだよ。紗也のことは、弟の友人だから丁重に扱うし、ある意味特別扱いする、って言っておいたから。もう一人の弟みたいに思ってる……みたいな感じでね」  そうすることで、紗也を安全圏へと置いたらしい。理不尽な嫉妬で紗也が傷つけられたりしないように、逸樹なりに配慮したというわけだった。
 戸惑いが強くて言葉が出てこない。涙はとっくに引っこんでいた。
 あの青年は自分にだけ連絡をくれたと思っていたらしく、かなり優越感に浸っていたそうだ。それでも約束したことは誰にも言うなと釘を刺しておいたので、逸樹と会うことは紗也にも言わなかったらしい。
「本当は身ぎれいになってから、紗也の恋人になろうって思ってたんだけど、予定を変更することにしたよ。同時進行にする」
「え?」
「暢気に時間かけてたら逃げられそうだからね」
 徐々に逸樹の顔が近くなり、すぐに息がかかるほどの距離になった。これまでにない距離感につい目が泳いでしまう。いい歳をした男が初心な少女のように戸惑い、恥ずかしさに逃げだしたくなっているなんて、逸樹には知られたくなかった。間違いなく気付いているだろうが。
「紗也が好きだよ。愛してる」
「う……」
「一つ、教えてあげるね。僕は確かに好きって言葉を安売りしてたけど、愛してる……は、いままで誰にも言ったことがなかったんだよ」