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「獣王子と忠誠の騎士」宮緒葵(ill:サマミヤアカザ)

あらすじ
トゥラン王国の騎士・ラファエルは、幼き第一王子・クリスティアンに永遠の忠誠を誓った。しかし六歳になったある日、クリスティアンが忽然と姿を消してしまう。国中が諦めてもなお、ラファエルは主を探し続けた。そして十一年後――ついに「魔の森」で美しく成長した王子を見つけ出す。しかし魔獣に育てられ言葉も忘れていたクリスティアンは、まるで獣のようだった。それでも変わらぬ忠誠を捧げ、献身的に尽くすラファエルに対し、クリスティアンも次第に心を開きはじめ…。

本文より抜粋

 ラファエルに呼ばれると、収まりかけていた頭痛までぶり返し、頭の奥で何かがクリスティアンを食い破ってやるとばかりにうごめいた。その低くどこか甘い声をもっと聞いていたいという欲求と、未知の感覚に対する恐怖がせめぎ合う。
 好奇心に負け、侵入者たちを見物に来たのは失敗だった。少しでも早くここを離れなくては頭が割れてしまいそうだ。
 ブランカの元までは、ラファエルたちも辿り着けないはずである。
 クリスティアンはじりじりと後ずさり、少しずつ距離を取った。
 くるりと踵を返して駆け出す寸前、ラファエルがいきなり長い銀髪の先端を掴む。普通の人間ならそのままつんのめり、引きずり寄せられていただろう。
 だが、クリスティアンは髪がぶちぶちと抜けるのも構わず勢い良く首を振り、自由になったところで大地を蹴った。
 自分の身長よりも高い枝に飛び乗るなど、魔獣を遊び相手に育ったクリスティアンには造作も無いのに、地上の人間たちは度胆を抜かれたようだ。クリスティアンが少し離れた高い枝に跳び移るや、頬を紅潮させていたラファエルが、抜け落ちた髪を握り締めたまま木の根元に駆け寄った。
 勢いのまま登ってこようとするが、クリスティアンが乗った枝は細く、一人の体重を支えるのが限界だ。ラファエルもすぐに気付き、幹に取り縋る。
「お待ち下さい、クリスティアン様! 何故、お逃げになるのですか。私を…貴方の忠実な犬である守護騎士のラファエルを、忘れてしまわれたのですか!?」
「……」
「どうか、私と一緒にお戻り下さい。父君も、クリスティアン様のお帰りを待ちかねていらっしゃいます。ご無事な姿をご覧になれば、どれほど喜ばれることか…クリスティアン様!」
「う…っ、ああっ!」
 ……クリスティアン様、クリスティアン様……。
 ……私の王子。我が剣も命も永遠に貴方様のものです。
 今までに見たことも無いはずの風景が脳裏で弾け、クリスティアンは髪を掻き毟った。
 苦しくて眇めた双眸に、必死の形相のラファエルが映る。クリスティアン様、クリスティアン様と、それだけしか言葉が存在しないかのように叫んでいる。
 クリスティアンのラファエル。王宮で飼われていた大きな犬よりも従順で、どんな我が儘でも聞いてくれた。言い寄る令嬢たちにはにこりともしないくせに、クリスティアンにはいつも優しくて、礼節を重んじ、微笑みを絶やさない、忠実なる騎士──。
「うっ…が、あああっ!」
 怒涛の如く押し寄せる不可思議な光景を、クリスティアンは何度も頭を振り、咆哮と共に追い払った。
 わけのわからないものに内側から蝕まれるなんて、我慢ならない。こんなもの、全てまやかしだ。きっとラファエルが何か不思議な力を使ってクリスティアンを幻惑しているのだ。さもなくば、こんなに胸が痛むはずがない。
 クリスティアンはしなやかな足で枝を蹴り、宙に高く跳び上がった。
 周囲に乗り移れそうな枝は無い。ああっと地上の人間たちが悲鳴を上げ、ラファエルも真っ青になるが、クリスティアンが落下を始める前に、虚空からドードが飛来した。
 ドードは任せておけとばかりに一鳴きし、クリスティアンの肩をがしっと掴む。
 魔鳥としては小柄なドードだが、翼の力はとても強い。軽いクリスティアンを浮かせて移動させるなど易しいことである。背の高い木々よりも更に高く飛び上がってしまえば、翼無き者は追って来られない。
「クリスティアン様! …お待ち下さい! どうか、私の話をお聞き下さい。クリスティアン様…!」
 懸命に追い縋り、手を伸ばすラファエルの背後で、何かが太陽を反射してぎらりと光った。
 あの嫌な空気を持った赤毛の男が、先端の尖った細長い棒のようなものをこちらに向けているのが簡単に見て取れる。それが弓と呼ばれる武器であるという知識は無かったが、首筋に悪寒が走り、クリスティアンはドードの脚をぎゅっと掴んだ。
 クリスティアンの願いを察したドードが力強く羽ばたくと、耳元で空気が唸り、ラファエルたちの姿は瞬く間に遠ざかっていく。
「クリスティアン様……!」
 ラファエルの悲痛な叫びも強い風の音にかき消され、すぐに聞こえなくなる。それが何故か寂しくて、クリスティアンは疼く胸を押さえた。