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「銀の雫の降る都」かわい有美子(ill:葛西リカコ)

あらすじ
大国レーモスよりエイドレア辺境地に執政官として赴任しているカレル。三十歳前後の見た目に反し、実年齢は百歳を超えるカレルだが、レーモス人が四、五百年は生きる中、病気のため治療を受け続けながら残り少ない余命を淡々と過ごしていた。そんなある日、内陸部の市場で剣闘士として売られていた少年を気まぐれで買い取る。ユーリスと名前を与え、教育や作法を躾けるが、次第に成長し、全身で自分を求めてくる彼に対し徐々に愛情が芽生え…。

本文より抜粋

「…そうか」
 呟くカレルに、ユーリスはわずかに首をかしげる。
 右の目尻に入った青い蔓状の刺青は、不思議とこの青年の顔を引き締め、物静かに見せた。
 あまりはっきりと意識して見たことはなかったが、とても繊細に図案化された美しい刺青だ。ユーリスの里で、この青年の目尻に刺青を入れたのはよほど腕のいい彫り師だったのだろう。
 市場でユーリスを買った時、左目の脇に刺青を入れるための専門の彫り師はいないと言っていた。小刀か何かで傷をつけて墨をすり込むと聞いたが、素人が多少真似てみたところで、今のこの右の目尻の刺青ほどに美しい模様を描けるとは思わない。
 アンバランスな模様を入れるぐらいなら、この右目の刺青だけで十分ではないかと今も思う。
 カレルはユーリスの顔から、手許の指輪へと視線を戻す。
 おそらくユーリスが得た多額の賞金で買える、一番高価な宝石がこのアレキサンドライトだ。
 あの時、さすがにそこまで無欲ではないかと嗤った自分に、この青年が何も答えなかったことを思うと、複雑な思いとなる。
 黙り込んだカレルをどう思ったのか、ユーリスは少し不安そうな声を出した。
「…お気に召しませんか?」
「いや、高価なものだろうに…。これにこの間の賞金を?」
 真珠は形状こそ長細いバロックだが、光沢のある色味は澄んで『月の雫』とも『人魚の涙』とも呼ばれる、内側に光を宿したような美しい最上の白銀色をしている。アレキサンドライトやダイヤの凜とした強い光のかたわらで霞むこともなく、その変則的な形はやさしい雰囲気を添えていた。
 母国レーモスでもっと手の込んだ宝飾品、輝度を増すカット、洗練されたデザインに囲まれて育ったカレルには、これが最上級品だというわけではない。
 ただ、この素朴で古典的なデザインの指輪は、この白いサンタンドールの街同様、何かが繊細に煌めいていて、見れば見るほど乾いたカレルの胸に不思議と響くものがあった。
 純粋に美しいと思う。
「はい、記念に何か少しでも形になるものを差し上げたくて」
 ユーリスは頷く。
「…お前の記念なのに?」
 ユーリスは破顔して、そうですねと呟く。
 あまり笑ったのを見たことはなかったが、こんな風に笑うらしい。
「はめてみてもいいのか?」
「ええ、もちろん。サイズが合うといいのですが…」
 カレルが無造作に腕を差し伸べると、ユーリスは膝をついたまま、カレルが上半身を起こすのを手伝う。
 カレルは小箱を大理石のテーブルの上に置き、取りだした指輪を自分の中指にはめてみた。
「ちょうどのようだ」
 いくらかゆとりはあるが、全体的に造作の大きな指輪なのでまわりすぎる、あるいは抜け落ちるということがない。カレルの言葉に、ユーリスは珍しく心底嬉しそうな顔を見せた。
 さすがにこうまでされると、カレルにもこの青年が寄せてくる打算のない愛情、恋慕とも呼べる気持ちはわかる。
 宝冠はいらない、代わりに胸許を飾る薔薇が欲しいと言われた時には酔狂だと思ったが、あの時点で気づくべきだった。
 与えられた賞金のほとんどをなげうち、自分に手に入れられる一番美しい宝石をカレルに捧げてきた。そんなユーリスの想いは、他人から愛情をほとんど向けられることのなかったカレルにとっては、何とも面映ゆいものだった。
 想いをかける相手がいるので、それ以外には男も女もいらないと言ったユーリスの言葉が思い出される。
 あの言葉が誰を指していたのか、さすがにこのように指輪を贈られてまで、これが手許に引き取ったカレルへの感謝の気持ちからくるものだなどと野暮を言う気はない。
 何を好きこのんで、いったい何がよくて…とは思うものの、そうまでしてこの青年がひたむきに自分を慕うことに対し、拒否感は覚えなかった。
 ただ、戸惑いだけがある。
「お前は変わっている…」
「そうでしょうか?」
 カレルの言い分にも、ユーリスは小さく笑うばかりだ。