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「奪還の代償 ~約束の絆~」六青みつみ(ill:葛西リカコ)

あらすじ
故郷の森の中で聖獣の繭卵を拾った軍人のリグトゥールは、繭卵を慈しみ大切にしていた。しかし繭卵が窃盗集団に奪われてしまう。繭卵の呼び声を頼りに行方を追い続けるも、孵化したために声が聞こえなくなる。それでも、執念で探し続けるリグトゥールは、ある任務中に立ち寄った街で主に虐げられている黄位の聖獣・カイエと出会う。同情し、世話をやいているうちに彼が盗まれた繭卵の聖獣だと確信するが…。

本文より抜粋

 なぜ自分がこんな場所にいるのか。いったいどのくらい眠っていたのか、まるでわからない。唯一理解できるのは、目に見える範囲にリグの姿がないということだけ。見知らぬ場所で目覚めたことより、側にリグがいないことの方が怖かった。
「リグ…! どこにいるの…?」
 カイエはひくりと息を呑み、本能的に知覚の糸を広げて、誓約を交わしたばかりの〝対の絆〟の気配を探ってみた。
 室内には当然いない。隣の部屋。いない。廊下。いない。建物の中全部。いない。庭、灌木、林、屋敷を囲む私道、公道。いない。能力の限界まで遠く意識を広げてみても、リグの温かく頼もしい気配は露ほども感じ取れない。どんなに心話で呼びかけても、わずかな反応すらもどらない。
 リグが自分の側にいない。
 その事実に打ちのめされた瞬間、止める間もなく涙が迸って、カイエはうまく呼吸ができなくなった。
「リグ…! ひぃ…っく、ぅっぐ…」
 感情の波を抑えられない。あまりにも多くのことが一度に起きて、それになじむ間もなく次々と状況が変わりすぎて、前みたいに自分の中でなだめてやり過ごすことができなくなっている。
 リグを傷つけた。リグがベルマンを殺した。リグと誓約を交わして〝対の絆〟を結んだ。これからはずっと一緒だ。そう約束したのに。
 見知らぬ場所でひとりぼっちで目覚めて、リグの行方はわからない。
「リグぅ……ッ」
 カイエは顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくりながら寝台を降り、裸足のまま扉に向かおうとした。今にも転びそうなおぼつかない足取りで歩きはじめたとたん扉が素早く開いて、驚き顔の女性が現れた。歳は三十代後半から四十近いだろうか。女性にしては背が高く、がっしりした身体つきをしている。
「まあ、目が覚めたのね。気分はどう? 痛いところはある? まだ熱が高いわね。横になっていた方がいいわ。さあ寝台に戻って」
 やさしいけれど有無を言わさぬ力強さで抱き上げられたカイエは、身体に巻きついたなじみのない腕を嫌がって抗いかけたが、すぐに無駄だと悟って力を抜いた。息が切れて目がまわったせいもある。
 苦労して歩いた距離を数歩でもどされ、寝台に寝かしつけられてしまうと、またひとりにされてしまう前に急いで訊ねた。
「リグは…どこ?」
 温かく湿らせたやわらかな布でカイエの涙を拭きはじめた女性は、何かを誤魔化すようにまばたきしてから、にっこり微笑んだ。
「あなたが元気になったら会えますよ。だから心配しないで。さあ、この薬湯を飲んで。ひと眠りしたら、今よりずっと身体が楽になっているから」
 そう言って、口元に薄い磁器の茶杯を当てられる。カイエは尻で後退りながら、小さく首を横にふった。
「今すぐ、会いたい。どこにいるの?」
 せっかくきれいにしてもらった頰が、また涙で濡れてしまう。それにかまわずじっと見上げると、彼女は一度視線をそらし、それからやさしくうなずいた。
「わかったわ。私が知っていることなら教えてあげる。でもその前にこの薬湯を飲んでしまって。気分が落ちつくから」
 彼女の声から、面倒ごとは避けたい気持ちがありありと伝わってくる。カイエはよけいな摩擦を避けるため素直にうなずき、甘い花の香りがする薬湯を飲み干してみせた。
 空になった茶杯を差し出すと、彼女はそれを受け取りながら素っ気なく教えてくれた。
「悪いんだけど、詳しいことは何も知らないの。わたしたちはあなたの身柄を預かって保護しているだけ。あとで聖獣の専門医がもう一度診察に来るから、そのとき聞いてみて。たぶん医者も、何も知らないと思うけど」
 答えは期待外れで、疑問は何ひとつ解消されなかった。逆に不安が高まって、嫌な予感が湧き上がってくる。
『騎士殺しは大罪。いかなる理由があろうとも、極刑はまぬがれない』
 意識を失う前にリグから伝わってきた言葉を思い出したとたん、全身から血の気が引いてゆく。
「……ッ」
 カイエは血の気が失せた両手で口を覆い、身を丸めて、ほとばしりそうになる悲鳴をこらえた。
「嫌……!」
 捕まってしまったの? 大罪人として処刑されるために? 死ぬときは一緒だと約束したのに、ぼくだけ残してひとりで…?
 ううん。リグが自分の意思でぼくから離れるはずはない。それだけは確信できる。きっと誰かが無理やりぼくたちを引き離した。ぼくたちが誓約を交わした〝対の絆〟だとわかった上で引き離したんだ。
「ひどい…」
 どうしてそんなひどいことができるんだろう。どうせ処刑されるなら、せめてそれまで一緒にいさせてくれてもいいじゃないか。
 それとも、これも罰のひとつなんだろうか。
「リグ…、リグ……!」
 逢いたい、今すぐ。
 誓約を交わした〝対の絆〟が命を落とせば、どれほど離れていてもわかる。
 だからまだ死んではいない。
「どこへ行くつもり? 動くのはまだ無理よ」
 硬い制止の声を無視して、カイエは身を起こして寝台から出ようとした。
「リグを、探しに行く」
「だめよ!」
 背後から伸びてきた手をなんとか避けて床に降り立ったとたん、足に力が入らずそのまま崩れ落ちてしまう。
「リグ…!」
 カイエは何度も立ち上がろうとした。けれどどうしても力が入らない。床の上で無様に身藻搔いていると、寝台をぐるりとまわってきた女性に捕まり、軽々と抱き上げられた。
「離し…て! お願い…、リグを……」
 泥土にはまって抜け出せなくなった獣のように、カイエは手足をばたつかせながら必死に訴え続けた。
「リグを助けて…。リグに逢わせて……」
 リグトゥールの身を案じるあまり両手を強く握りしめ、今にも砕け散りそうな胸を搔きむしって願い続けた。
 寝台に押しもどされ、薬湯の効能が現れて眠りの底に落ちはじめても。夢の中でも。涙を流しながら、ずっとずっと願い続けた。