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「悪魔公爵と愛玩仔猫」妃川螢(ill:古澤エノ)

あらすじ
──ここは、魔族が暮らす悪魔界。上級悪魔に執事として仕えることを生業とする黒猫族の落ちこぼれ・ノエルは、銀の森で肉食大青虫に追いかけられているところを悪魔公爵であるクライドに助けられる。そのままひきとられたノエルは執事見習いとして働きはじめるが、魔法も一向に上達せず、使役獣にも懐かれるだけでクライドの役に立てずに失敗ばかり。そんなある日、クライドに連れられて上級貴族の宴に同行することになったノエルだったが…?

本文より抜粋

 赤くなった額にクライドが指先を走らせると、床にぶつけた赤みが消える。「わぁ……」と驚く様子を見せて、少年はクライドに羨望の眼差しを向けた。
 黒猫族なら、本来この手の治癒能力は高いはずで、だからこそ執事として重宝されるのだが、この様子ではまったく期待できそうにない。
 まったく、なぜ自分はこんな面倒なものを拾ってしまったのかと、胸中で幾度目かのため息をついて、クライドは華奢な身体を引き上げた。
 魔力によってふわり…と、クライドの膝に戻された少年は、エメラルドの瞳を丸くして、じいっとクライドの双眸をうかがう。まるで、その真意を見抜こうとするかのように。
 その、物怖じしない態度が、クライドは気に入った。
「名はなんという?」
 そういえば確認していなかったと気づいて尋ねれば、少年は「え?」と呟いて、大きな目を瞬く。
「そなたの名だ」
 指先で口のまわりの粉砂糖を払ってやりながら再度問えば、少年はやっと言われていることの意味を理解したかに口を開く。
「ノエル」
 なぜか気恥ずかしそうに、名を答えた。
「ではノエル、我が館にとどまることを許そう。そのかわり、執事見習いとして修行に励むこと」
 どうだ? と、クライドが提案を向けると、エメラルドの瞳が怪訝に瞬く。ややして、ゆるり…と見開かれた。
「本当ですか!?」
 掴みかからんばかりに身を乗り出して、ノエルと名乗った黒猫族の少年悪魔は、鼻先をクライドの顔につきつけて叫ぶ。
「ボク、執事になれるんですか!?」
 満面に喜びを浮かべて、ノエルはクライドの銀の瞳を間近にうかがった。
「執事見習い、だ」
 間違えるな…と諫めても、はたしてちゃんと聞いているのか。
「がんばります! ありがとうございます、公爵さま!」
 万歳しかねない勢いで抱きつかれて、クライドは唖然と目を瞠る。貴族と呼ばれる上級悪魔に対して、こんな態度をとる黒猫族など、聞いたことがない。──が、ゴロゴロと喉を鳴らさん勢いで懐く姿を見ていると、怒る気力も萎える。
 まぁいい、礼儀はおいおい老執事のランバートが仕込んでくれるだろう。
「私のことは名前で呼ぶがいい」
 どうでもいい輩に名を呼ばれるのは我慢ならないが、近しい者に公爵さまなどと呼ばれるのも性に合わない。
「クライド…さま?」
 おずおずと、言われたとおりに名を呼んでみせる。気恥ずかしげに。
 その様子がいたく気に入ったクライドは、華奢な少年をしげしげと見やって、そして言った。
「まずはその、薄汚れた恰好をどうにかせねばな」
 膝の上の痩身を抱き上げておろし、腰を上げる。
「ついてくるがよい」
 長衣を翻すと、なかば呆然としていたノエルは、はたと我に返ってあとをついてきた。
「はい!」
 とととっと、追いかけてくる。その様子が、仔猫の姿を彷彿とさせる。
 アテははずれたが、退屈しのぎにはちょうどいいだろう。多少出来が悪いくらいが、ランバートも張り合いがあるに違いない。
 風呂に入れて、頭のてっぺんから足の先まで泡まみれにして洗い、自ら選んだ衣装を着せて、艶を増した黒髪を結い、髪飾りを差してやる。
「ほほう……これはなかなか。さすがはクライドさまのお見立てです」
 ひと息ついてはどうかとお茶を届けに来たランバートが、ほくほくと言う。その言葉どおり、クライドの手によって小綺麗にされたノエルは、幼いながらも黒猫族特有の美しさを持つ美少年に姿を変えていた。
「これ、ボク……?」
 戸惑い顔のノエルを、クライドは満足げに見やる。
 これなら公爵家の下働きとして人前に出しても恥ずかしくはないだろう。小姓として連れ歩いたとしても、美貌で知られる蛇蜥蜴族や黒蝶族にもひけをとらないはずだ。
「ふむ」
 なかなか悪くない拾いものをしたかもしれない。
 長い時を生きる悪魔は、常に暇を持て余している。「面白い」などと感じるのも、ずいぶんと久しぶりのことのように思えた。