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「悪魔伯爵と黒猫執事」妃川螢(ill:古澤エノ)

あらすじ
──ここは、魔族が暮らす悪魔界。上級悪魔に執事として仕えることを生業とする黒猫族・イヴリンは、今日もご主人さまのお世話に明け暮れています。それは、ご主人さまのアルヴィンが、上級悪魔とは名ばかりの落ちこぼれ貴族で、とってもヘタれているからなのです。そんなある日、上級悪魔のくせに小さなコウモリにしか変身できないアルヴィンが、倒れていた蛇蜥蜴族の青年を拾ってきて…。

本文より抜粋

 気配を感じて、イヴリンは銀食器を磨く手を止めた。
「イヴ、ただいま!」
 声が聞こえたと同時に、アーチ窓から飛び込んできた黒い影が顔面に衝突する。
 勢いは魔力で調節されているから、たいして痛くはないのだが、毎度これをやられる身にもなってほしい。
 イヴリンの頭に広げた羽を巻きつける恰好ですりすりと甘えているのは一羽のコウモリ。
「アルヴィンさま!」
 退いてください! と、苛立ちを懸命にこらえながら言うと、猫族でもないのにゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえそうな勢いで甘えていたコウモリは、ぽんっ! と軽快な音とともに本来あるべき姿へとそのかたちを変えた。
「わ……っ!」
 ふいに増した質量を受け止めかねて、イヴリンは床に倒れ込む。──が、後頭部をしたたか打ちつける前に、くるっと身体が反転して、弾力のあるものに受け止められた。
 凍える湖面のように澄んだ碧眼を眇め、長嘆をひとつ。
 だが、どうにもこうにも頭が緩いとしか思えない年若い主は、執事の不機嫌顔など意に介しもしない。
「どこかぶつけなかった?」
 ごめんね、と使用人に向かってニコニコと詫びる始末。悪魔界広しといえども、執事の下敷きになって嬉しそうにしている上級悪魔など、イヴリンの主くらいのものだろう。
「アルヴィンさま……」
 イヴリンは主の胸に受け止められた恰好で、ズキズキと痛むこめかみを押さえた。身体を起こそうとしても、リーチの長い腕が腰に絡まっていて、自由にならない。
「詫びていただかなくて結構ですから、飛びかかってくるのはおやめくださいと何度も申し上げているはずです!」
 しかもここはバンケット、おおよそ館の主が足を踏み入れる場所ではない。窓から帰ってくるのはいいが、塔の自室に直接降り立つようにと、何度言ったらわかるのか。
「だって、イヴの顔を真っ先にみたいんだもん」
「……」
 深い深いため息をついて、イヴリンは再びこめかみを押さえる。
 悪魔に生まれて数百年。人間界で言うならば二十歳そこそこの主は、いうなればまだ子どもだ。子どもの言うことに、いちいち目くじらをたてていては、執事など務まらない。
 下から見上げる眼差しにねだられて、イヴリンは本来こんな恰好で言うものではない言葉を返す。
「おかえりなさいませ、My Load」
 にっこりと、金色の瞳に浮かぶ笑み。
「ただいま」
 ふわり…と身体が浮いて、イヴリンは主に抱かれた恰好のまま、床に足を着いた。
 まるで長い尾のように後ろでひとつにまとめられた主の長い黒髪が弧を描いて舞う。
 悪魔たちは金銀華美な装飾を好むが、主はいつもシンプルな長衣に刺繡の施されたベルトと瞳の色を写し取ったかに輝く金針石の大振りなペンダントを下げているだけ。
 長い黒髪を後ろでひとつにまとめるのは、冥界蜘蛛の紡いだ糸を編んだ組み紐で、タッセルにかろうじて金の細工が施されているが、それすらシンプルなものだ。
 せめて宝石を飾った長剣でも携えていれば、もう少し見栄えがするものを。
 イヴリンは主の胸元に鼻先を寄せ、黒猫族特有の鼻のよさで、それを嗅ぎつける。
「また人間界に降りましたね?」
 上級悪魔には、悪魔界と人間界を自由に行き来することが許されているが、この主の場合、その目的が問題だった。
「お食事は?」
 人間を狩ってきたのかと目を眇めて問えば、アルヴィンは実にわかりやすく話を逸らした。
「行列に一時間も並んで、ようやくゲットしたんだよ!」
 すごいでしょ! と自慢げに言って、片手をひらめかせる。すると、パントリーの中央に置かれたテーブルに、ぽんっ! と小箱の山が出現した。
 どう見ても人間界のシロモノだ。
 縦横二十センチほどの箱が、およそ百個、ピラミッド状に積みあがっている。
「人間界で買った雑誌に載ってるのをみたときから、いつか絶対に食べたいと思ってたんだよ。ひとり五個までなんて言うから、久しぶりに分身の魔法まで使っちゃったよ」
 そんな魔法が使えるくらいなら、なぜ人間のひとりやふたり、ついでに狩ってこないのか。