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「夜を越えていく」高塔望生(ill.乃一ミクロ)

あらすじ
 亡き父の夢を継ぎ、憧れの捜査一課に配属になった倉科。だがコンビを組まされたのは、一課のなかで厄介者扱いされている反町だった。はじめは反発を覚えた倉科だが、共に事件にあたるうちに反町の刑事としての信念に惹かれ、彼に相応しい相棒になりたいと思うようになる。そんな矢先、反町がある事件で妻を亡くしていたことを知った倉科は、今も反町の薬指に光る指輪を見る度に、なぜか複雑な気持ちになり…。

本文より抜粋

「誰にもミスはある。ミスをしたら取り返せばいいんだ」
「反町さん、今日はずいぶん優しいんですね」
「優しくちゃ悪いか?」
「…悪くないですけど……」
 泣きそうになってしまうからやめてほしいとは言えず、倉科はもう一口スモーキーなシングルモルトをあおった。
 食道から胃へ、カッと熱いものが流れ落ちていく。
「でもこれで、桜上水の件も首の皮一繋がった。これでもし今回の事件との接点が出れば、瓢箪から駒ということもあり得る」
「反町さんは、どうしてそんなに桜上水の件に拘るんです?」
「刑事だからだって、言わなかったか……」
 絶対にそれだけではないと思うのだが、今夜はとても追及する気になれない。
 自分には、反町の本音の部分に踏み込む資格はまだないのだ。
 そう思うと、ミスを犯したこと以上に気持ちが沈んでしまうようだった。
 傍らで暖炉の火が、パチッと音を立てて小さく爆ぜた。
 すると、不意に反町が低く呟くように話し出した。
「……俺は刑事でありながら、八年前、自分の身に降りかかった事件を、ただ指をくわえて見ていることしかできなかった……」
 ハッと息を呑み、倉科は目の前のグラスを見つめた。
 まさか反町が、自分から八年前の事件のことを口にするとは思わなかった。
 どんな顔をして聞いていればいいのか分からなくて、どうしても顔を上げられない。
 俯いたままの倉科の耳に、反町の微かなため息が響いた。
「俺の女房、弥生が殺されたことも、藤村から聞いたんだろう?」
 弥生さんと胸の裡で繰り返しながら、倉科は緩く首を振った。
「いえ……。班長は何も言いませんでした。僕が聞いたのは、岩田さんからです」
「そうか」
 過ぎた日を思うように、反町は赤々と燃える暖炉の火へ目をやった。
「女房とは、俺が刑事になれたら結婚しようと約束していた。捜査専科を修了し、築地署生活安全課刑事の命免が決まった日にプロポーズして、五ヶ月後に結婚した。でも、それからたった半年しか一緒にいてやれなかった……」
「ホシはまだ挙がっていないと聞きましたが……」
 唇を噛み締めるようにうなずくと、反町はグラスを口許へ運んだ。
「管轄が違う上に、そもそも事件の関係者は捜査に加われない。それでも、俺はなんとか特捜へ派遣してほしいと上司に懇願した。だが、当たり前だが許可されなかった」
「ずいぶん厳しく事情聴取されたらしいと、岩田さんが言ってました」
「そんなことは当たり前のことだ。ホシを挙げるためなら、事情聴取だってなんだって受けるさ」
 うなずいて、倉科は黙ってグラスを空けた。
 癖の強い酒が、胃の腑に沁み入っていく。
 ウエイターにお代わりを注文すると、倉科は黙ってしまった反町の方を見た。
「奥さんの事件、反町さんは捜査方針に異議があったんですか?」
 反町は認めるのをためらうように、口許だけで微かに笑った。
「捜査は怨恨と通り魔の二本立てで行われると聞かされていた。だが実際は、早いうちに怨恨一本に絞られていたようだ。刑事の女房が殺されたんだ。誰だって怨恨を疑う。俺だって、逆恨みにしろなんにしろ、知らない間に恨みを買っていることがないとは言えない。だから、怨恨の可能性を全否定しようとは思わないが……」
「捜査方針を絞るのが、早すぎたと思うんですね?」
 反町は答えなかったが、その表情には濃い無念が滲んでいた。
「俺はただ単に、自分のせいで女房が殺されたと思いたくなかっただけなのかもしれない。もしそうだとしたら、俺はもう刑事ではいられない。そうも思った」
「でも、反町さんは刑事を続けてる」
 唇の端を歪め、反町はまるで自嘲するようにうっすらと笑った。
「業だな。骨の髄まで、俺は刑事だったということだ」
 そうではないだろうと、倉科は思った。
 反町は殺された妻を、心の底から愛していたのだ。
 だからこそ、亡き妻への愛に殉じるためにも、反町は自らに鞭打って刑事の職に踏みとどまったのに違いない。
 反町にとって、刑事を続けるということこそが、妻への深い想いの証なのだ。
 そう思った途端、倉科は胸をかきむしられるような息苦しさを感じていた。
 もう目を逸らすことはできない。
 自分は、こんなにも反町を好きになってしまったのだ──。
 身体の芯がゆらゆらと心許なく揺らめき、心奥に切ない疼きが広がっていく。
 思春期のごく初期の頃から、自分が同性に惹かれてしまう質だということは自覚していた。
 だが、警察官となって日々の激務に追われるようになってからは、知らず知らず色恋沙汰とは疎遠になってしまった。
 それなのに、よりによって上司である反町に心を奪われてしまうとは──。
 なんとかして、八年もの間、反町が抱え続けてきただろう寂寞とした孤独を癒したい。
 亡くなった妻との思い出の中でだけ生きるのではなく、自分と新たな道を切り開いてほしい。
 心奥から、そんな想いが抑えようもなく溢れ出てくる。