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「恋するブーランジェ」六青みつみ(ill.霧壬ゆうや)

あらすじ
 メルヘン商店街でパン屋を営むブーランジェの未理は、さらなる美味しいパンを追求するため、アメリカに旅立った。そこで見つけたパン屋で、嵩也という男に出会う。パンが好きだという嵩也は、町中の美味しい店を紹介しながらパン屋巡りにも付き合ってくれる。二人は次第に惹かれ合い、想いを交わすが、未理は日本へ帰らなければならなかった。すぐに追いかけると言ってくれた嵩也だったが、いつまで待っても未理のもとに、崇也は現れず…。

本文より抜粋

 温かい腕枕で目覚めて、気だるい朝のまどろみを、ふたりぶんの体温を吸ったシーツのなかで怠惰に楽しんだ。
 恋は唐突に降ってくる。
 ベッドへの誘い方は少々強引だったけれど、それは未理を陶然とさせるアイテムでしかなく、一晩かけて貪り尽くされた肉体は、いまだに蕩けたまま。甘い余韻をたたえて、包み込む腕から抜けられないでいる。
 けれど、いくらでも時間があるわけではなかった。
 帰国便は決まっていて、数時間後には、未理は空港にいなければならない。
 サンフランシスコに住む相手との関係を今後どうするのか。早急に答えを出す必要があった。
 けれど……。
「何時の便だっけ?」
 嵩也はなんでもないことのように訊いた。そして「送って行こう」と言葉をつづけた。
 その前にあるはずの、やりとりはなにもなかった。
 未理は、混乱する頭でその言葉を聞いた。
 どうして? と問いたいのに、言葉が出てこなかった。
 未理は、店の場所も住所も教えた。けれど嵩也からは、名前以外のなにも聞かされていない。携帯電話の番号さえも……。
 訊いていいのだろうかと、考えることすらできなかった。
 時計を確認してベッドを抜け出した嵩也に抱き上げられてバスルームに運ばれて、その腕のなかでたっぷりの湯に浸かりながら、混乱する頭で、それでも必死に考えた。
 そして、ひとつの結論にたどりついた。
 ──そっか……。
 舞い上がっていたのは、自分だけだったのだ。
 嵩也には、そんなつもりなど、微塵もなかった。だから、帰国しようとする未理を引き留めようともしない。そのくせ、こうして甘やかす。
 口数少ない未理を、昨夜の疲れが残っているためと思ったのか、嵩也はなにも言わなかった。
 ただひたすらに甘やかし、ご丁寧に空港まで送ってくれた。搭乗ロビーで、別れのキスまでしてくれた。
 泣けなかった。
 泣いたのは、飛行機に乗ってからだ。
 遠くなるサンフランシスコの景色を見ながら、ぼろぼろと泣いた。
 泣き疲れて眠っているうちに、日本についてしまった。
 バカみたいだ…と、何度も己を罵った。
 向け場のない思いをパンづくりに向けた結果、店が前以上に繁盛しはじめたのは、皮肉としかいいようがなかった。


 嫌な汗どころか、頬を濡らす涙に、朝の目覚めを促された。
 未理は長い睫毛を瞬いて、目覚まし時計を確認する。今日も、あと三十分寝られたのに、起きてしまった。──いや、嫌な夢に起こされてしまった。
「また……」
 忘れたはずの光景を夢に見るなんて、どうかしている。
 それもこれも全部、昨日いきなりやってきて、勝手なことを言うだけ言って帰っていった男のせいだ。
「ハウザーの威嚇くらい……」
 そんなことを呟いたのは無意識のことで、未理ははたと我に返り、大きな瞳を瞬く。そして、再びガバッと布団をかぶった。
「バカだ……」
 つくづく自分のバカさかげんが嫌になる。
 サンフランシスコから戻って、もう何度同じ言葉で自分を罵ったかしれない。
 やっと夢に見なくなったところで、本物がやってくるなんて、これこそ悪夢だ。