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「陽炎の国と竜の剣」佐倉朱里(ill.子刻)

あらすじ
 かつて栄えたオアシス都市・ミーランでは、水は涸れかけ、疫病も流行っていた。窮地に立たされた美しき王・イスファンディールの元に、伯父の遣いでハヤブサを携えた謎の剣士が現れる。その男、シャイルはイスファンディールをことのほか気に入り、暫く王宮に留まることに。剣士は人智の及ばぬ不思議な力を持っており、何でも願いを叶えてやるかわりに、イスファンディールの身体を報酬に欲しいと言い出して――!? 本格オリエントファンタジー登場!

本文より抜粋

「どうしてそこまでしてくれようと言うのだ。伯父に頼まれたからか?」
 剣士は目をみはり、ついでばつが悪そうに苦笑した。
「アルマーイルのことなんて、今の今まで忘れてたよ。好きなやつの力になりたいって思ったんだ。単なるお節介と、下心さ」
「下心……」
「おい、そこだけ聞くな、そりゃ言葉のあやだ」
 男はさっぱりと笑った。
「どうして──」
 イスファンディールは、とまどいのままに疑念を口にしていた。好きなやつ、とは、何をもってそんなことを言うのか、この放浪の剣士が、自分に。
 剣士は真顔で向き直る。
「王宮をうろついてると、あんたの話はいやでも耳に入る。お妃の喪もあけぬうちに政務に忙殺されてお気の毒、だとか、本当に星のめぐりによって選ばれた王にこの難局を乗り切れるのか、とか、いやいや傍流からぽっと出てきたにしてはよくやっている、とか、まあいろいろだ」
 ふたつめを聞いたとき、やはり、と覚悟はしていたものの、やはり気分が沈みかけるのはこらえられない。
「おれはそういう声を聞いて、あんたは孤独だろうなと感じたんだ。お妃がいれば慰めにもなったろうが、亡くなった。手足のように動くべき大臣たちはなんとなく他人のようだし、親身になって仕える女官長はいても、甘えられるわけじゃない。……寂しいんだろうなと思った」
「剣士……」
 男はひょいと肩をすくめる。
「おれも寂しがり屋って点では人後に落ちないたちでね、同類は気になるんだ」
「寂しがり屋?」
 イスファンディールは目をみはった。そちらのほうが意外だ。女官長が話すことには、この男は気さくで陽気で、旅が長いせいでいろいろな国のことを見聞きして知っているから話題も豊富で、笑わせたりふざけたり、口も悪いが、いやみがないので憎めない、そういう評判ではなかったか。
「寂しがり屋だから、人とは楽しくやりたいんだ」
「……そうか」
「ま、そういうわけだから、おれがあんたのために何かするのは、惚れた弱みだ。だからあんたが負い目に感じることはないんだぜ」
 男は笑うと、再び卓に両手をついて、瞳の奥をのぞきこんでくる。
「おれに、名前をつけてくれ。あんただけが呼ぶ名前だ」
 彼は驚いた。
「そなたの名は、どうした?」
「おれにはもともと名前はないんだ。そのときそのとき間近にいる人間に、つけてもらってる。シャイルというのは、あんたの伯父さんがつけてくれた。今度はあんたの番だ」
 イスファンディールは眉をひそめた。
「親御は、そなたに名をつけずに亡くなったのか」
 剣士は肩をすくめる。
「……ま、そんなもんだ」
 王は、この大ざっぱそうな性質の男が、さすがに表情を陰らせるのを黙って見つめ、口の中で死者を悼む祈りの辞を呟いた。寂しがり屋だというのは、そのためなのかもしれない。
「だが、本当によいのか、そんなふうに我が名を人ごとにつけさせたりして」
 遠慮というわけではないのだが、すぐに返答できないでいると、剣士のほうが業を煮やした。
「いいんだっつってんだろ、融通のきかない王さまだな。アルマーイルは嬉々としてつけたぜ?」
「伯父と私では性格がちがう。そもそも、くらべられたことがない」
「ごちゃごちゃぬかすな。あんたが呼びたいように呼んでいいんだ。さっさとつけろ」
 なんだか駄々をこねる子供を相手にしているようだ。王は微苦笑して、ふと思いついた名を口にしていた。
「フェリダン」
 すると剣士は、悠然たる笑みを口元に刻んだ。
 ふしぎなことに、王はかすかな痛みを感じた。胸の奥だ。まっすぐに針でも突き入れられたような。
 フェリダンという新たな名をつけられた剣士は、目を細めた。
「……その名の礼だ」
 すいと顔が近付いてきて、避ける間もなく、唇を重ねられた。
 そのくちづけを、イスファンディールは眼を見ひらいたまま受けた。それなのに、かすむ視界にうつるものは剣士の顔ではなく、見たこともない、はるかかなたに広がる紺碧の水の連なりだ。うねりながら打ち寄せる波がきらと陽光を反射して、そのまばゆさに思わず目をつぶる。
 ふしぎなくちづけだった。渇いた喉に流しこまれる清涼な水のような、ひびわれた心を埋めるような。性的なにおいのない、まるで親が子供を慈しむような──。
 ゆっくりと唇が離れ、そっとまぶたをあけると、まだ間近に剣士の顔があった。
「おれに命令を、美しい王。あんたのフェリダンが、何でもしよう」
 その言い回しはどこかの慣例ででもあるのだろうか──『あんたのフェリダン』、つまり、この男が自分のものということだ!──こんな言い方は、ミーランやトゥーラン、イールハーンでも、普通はしないものだが。まるで互いに変わらぬ想いを捧げあう恋人たちのような──。
 そんなことを考えて、頬が熱くなった。そのことにも思いがけない動揺を覚えると、はしばみ色の双眸が、自分を見つめて この双眸は、あるじの指示を待ち受ける、忠実な猟犬そのままだ。王は口元をかすかに歪めた。
「退がってよろしい。……退がれ」
 剣士の望む命令をひとつ与えると、剣士は目をみはった。そんなささいなことが命令かと噛みつかんばかりだ。
 しかし、剣士は文句をつけることはできなかった。王を探す侍従の声がしたのだ。やがて声は、水亭までやって来た。