ちょこよみリンクス

「梟の眼 ~コルセーア外伝~」水壬楓子(ill.御園えりい)

あらすじ
 モレア海を制する海賊・プレヴェーサで、アヤースの副官を務める知性的なジル。6才のころ父が猟奇殺人で捕まり、周りの嫌がらせに耐えながら、姉と二人で生きてきた。数年後、橋の下で病気の姉を抱えていたジルは、偶然通りかかったボリスに拾われる。徐々にボリスに惹かれていくジルだったが、彼が姉に好意を寄せていることに気づき、彼の元を離れプレヴェーサで手腕を発揮するようになる。そんなある日、ボリスから姉の行方を問う手紙が届き…。

本文より抜粋

 自分とボリスとの間は、姉がいてちょうどいい距離だったのだと、ジルは沁みるような淋しさとともに気がついた。
 そしてジルが十九になった年、ボリスは突然、宮内府式部省での地位を返上し、宮廷からも身を引いて、ディノスで生活するようになった。
 ジルも主人についてディノスへと移ったが、正直、この田舎ではジルのやるべき仕事はなかった。
 ボリスの身のまわりの世話にしても、仕事がない毎日では、ぐうたらと過ごしたところで誰が迷惑を被るわけでもない。
 ボリスは釣りを楽しみ、時折、近くのサヌアへと足を伸ばしては芝居や音楽に興じ、たまにサヌアでの夜会に参加しては都の噂話を耳にして、知己の近況を尋ねたりと、のんびりと隠退生活を楽しんでいたようだ。
 しかしジルにとっては、だんだんとその毎日が息苦しくなっていた。
 都にいた時よりもさらに、この小さな田舎の館では物理的にも精神的にも、距離が近い。
 側にいたかった。だが、このまま側にいるのはつらすぎた。
 ……自分の居場所がないような気がして。
 もうボリスにとって、自分は必要のない人間のように思えて。
 そんな思いが、つい、口にさせたのだろうか。
「若いおまえにはこんな田舎は退屈じゃないのかな? おまえはリーズにもどってもいいんだよ?」
 ある夜、寝支度を手伝っていると、そんなふうにボリスに言われて。
 ……突き放されたような気がした。
 もう、いらないのだと。
「お側にいてはお邪魔ですか? 結婚はできませんけど、ボリス様の合間のお相手くらい、させていただきますよ?」
 震える声を、挑発する口調に変えて。
 うん? とふり返ったボリスがいくぶん険しくジルを見つめてくる。
「どういう意味で言っているんだ?」
 ぴしゃりと言われ、ジルは思わずひるんだ。
「つまらないことを言うんじゃない。そんなことのためにおまえを引き取ったわけではないよ」
「……すみません」
 小さく唇を噛んで、ジルは悄然とあやまる。  自分への情けなさと、わかってもらえないいらだちと。
 そんなものが身体の中で渦巻く。
 ボリスが首をふり、あきれたようなため息をついた。
「おまえも、いつまでも私についていなくとも、好きなことをしていいんだよ。そろそろ結婚を考えていい年だしね」
 それでも、そんなふうに穏やかに言われて、ジルはなんとなく笑ってしまった。
 ようやく保っていた何かが、身体の中で崩れた気がした。
 優しい、のだろう……。いつもジルのことを考えてくれている。 
 ただ結局、自分はこの人にとっては替えのきく、側仕えの一人に過ぎないのだ。
 限界だと思った。
「そうですね……」
 小さくつぶやくように言うと、ジルはそっと息を吸いこんで、再び口を開いた。
「お許しをいただきたいのです」
 その言葉に、ボリスがわずかに怪訝そうに視線を上げる。
「プレヴェーサに行こうと思います。もう…、ボリス様のお側にいてもさほどお役には立てませんし」
 手伝うような仕事もない。
 おたがいに気まずいばかりだとわかっていた。
 ボリスも、いつまでも姉の影を見るようでつらかったのかもしれない。
 一瞬、口をつぐんだボリスだったが、やがて小さくうなずく。
「そうだね…。おまえには案外、プレヴェーサは合っているのかもしれない。プレヴェーサも政治向きのことがわかるおまえのような人間が一人いると、ずいぶんと違うだろう。ローレンもおまえのことは買っていたからね」
 おたがいに穏やかな、大人の会話だった。