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「変身できない」篠崎一夜(ill:香坂 透)

あらすじ
 美貌のオカマ・染矢は、ある日、元ヤンキーの本田に女と勘違いされ一目惚れされてしまう。後日デートに誘われた染矢は、いつものように軽くあしらおうとするが、なぜか本田相手にはペースを乱されてしまい上手くいかない。そんな折、実家に帰るため男の姿に戻ったところを本田に見られてしまい…!? 「お金がないっ」シリーズよりサイドストーリーが登場! 女王系女装男子・染矢の意外な素顔とは…? オリジナルエピソードも収録した待望のノベルス版!!

本文より抜粋

「ゲ、ゲイバーって、まさか、本田さ……」
 この界隈に出入りする者全てが、男を漁りに来るわけではない。娯楽目的の客も多いが、本田はそんな融通が利く男ではないのだろう。信じられないものを見る目で、男たちが本田を見た。
 立ちつくす本田の眉間から、深い皺が失せる。
 茫然とした眼が、ただ染矢を見ていた。驚愕を映してはいるが、この期に及んでもまだ現実を呑み込めないほどには、愚かではないらしい。
 込み上げそうになる溜め息を、染矢は奥歯で噛んだ。
 真実に気づき、怒りに任せて殴りつけられても不思議はない。妹と仕事仲間と思しき男たちの前で、これほどの恥をかかされたのだ。むしろ、それが普通の反応だろう。
 染矢にとっては本田が激昂しようが、ましてや恥をかこうが、そんなことは与り知らない話だ。そもそもことの発端は、本田自身にある。
 分かりきったことだ。それなのに背を向けることができず、染矢は無言で立ちつくす男を見た。
「ごめんなさぁい。私がしつこくお誘いしちゃったから」
 装った高い声が、紅い唇からこぼれる。
 しなを作った染矢に、声にならないざわめきが男たちの間に走った。
「誘った…って……」
 まだ頭をさする少女が、気圧されたように呟く。にっこりと笑みを作ると、少女の頬に戸惑うような赤味が差した。
「この前私、変な男に絡まれちゃって。偶然通りかかった本田さんが助けて下さったの。だから是非お礼がしたくて、今日は無理を言ってお店に来ていただいたのよ」
 言葉の半分は、事実でもある。たとえ相手が女装した男であろうと、難儀している姿を見れば黙ってはいられない。侮辱されたホステスの代わりに、妹を叱りつけられる男なのだ。本田を知る者であれば、それは容易に納得できることなのだろう。顔を見合わせた男たちが、ようやく得心がいった様子で頷き合った。
「だ…、だよな。じゃなきゃ本田さんが、こんなとこに来るわけねーし……」
「やっべ、マジ驚くとこだった。あり得ねぇよな、本田さんがまさか…」
 一様にほっとした様子を見せる男たちに、染矢が笑みを深くする。
「そうなのよ。迷惑かけちゃってごめんなさい。今日のは私のおごりだから。妹さんを連れて、早く帰ってあげて」
 蹲っていた少女を助け起こし、染矢は軽やかに手を振った。
 大盤振る舞いと笑われようが、ささやかな飲み代を惜しんでも意味がない。本田に恥をかかせるのも同じことだ。
 いい気味だと笑えないのなら、自分が泥を被る方が後腐れがない。どうせ被り慣れた泥だ。振り返ることなく、高い踵でアスファルトを踏む。階段を降りようとした染矢の耳に、固い物音がぶつかった。
「…っ…」
 大きな掌が、階段の壁を打つ。ぎょっとして振り返った染矢の視界に、長い腕を伸ばした本田が映った。
 これ以上、なんの用がある。我に返り、やはり染矢を殴りつけようというのか。
 身構えた染矢に、男が大きく身を乗り出した。
「思った通りだ。やっぱりあんた、最高にいい女だぜ…!」
 強く光る双眸で見下ろされ、染矢は驚きのままに本田を見た。
 なにを言っているのだろう、この莫迦は。
 ここで自分を突き放さないで、どうするのだ。折角庇ってやったのに、全てが水の泡になる。案の定、取り囲む男たちは再び息を詰め、その場に凍りついていた。
 呆れ、怒鳴りつけてやりたい気持ちと同時に、なにかが胸の内側で爆ぜる。溜め息の代わりに、声がもれそうな笑みがこぼれた。
「……ありがとう」
 するりと、細い腕を伸ばす。驚く本田を見返し、染矢は日に焼けた頬へ唇を寄せた。
「っ…」
 染みついた、オイルの匂いだろうか。あるいは夜の街には不似合いな、太陽の匂いかもしれない。あたたかな肌に、唇が触れたのは一瞬のことだ。音の鳴る口吻けを残し、染矢は腕を解いた。
「ほ、本田さんっ」
 作業着姿の男たちが、目を剥いて本田の元に駆けつける。
 一度だけ振り返ると、立ちつくす本田が見えた。茫然とした眼が可笑しくて、新しい笑みが込み上げてくる。
「楽しい夜だったわ」
 心からの笑みを残し、染矢は店へと通じる扉をくぐった。