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「はちみつハニー」葵居ゆゆ(ill.香咲)

あらすじ
仕事にしか興味がない冷血漢と言われる橘は、ある日部下の三谷の妻が亡くなったことを知る。挨拶に訪れた橘を迎えたのは、三谷の五歳になる息子・一実だった。そこで橘は三谷から、妻の夢を叶えるため、パンケーキ屋をやりたいと打ち明けられる。自分にはない、誰かを想う気持ちを眩しく思い、三谷に協力することにした橘。柄でもないと思いながらも、三谷親子と過ごす時間は心地よく、橘の胸には次第にフワフワとした温かい気持ちが湧きはじめてきて…。

本文より抜粋

 なんだろうと思いながら本文をクリックすると、「お疲れさまです」から始まる文章が目に入った。

  お疲れさまです。在職中はたいへんお世話になりました、三谷です。
  本当は送別会のときに機会があったら橘さんに言いたいと思ったのですが、
  タイミングがなかったので、このようなかたちですみません。
  急に辞めることになって、橘さんには本当にご迷惑をおかけします。
  ですが、橘さんが思ったよりも俺の話を真摯に聞いてくださって、
  とてもありがたかったです。
  意志が強くて妥協しない橘さんの仕事のやり方は本当に尊敬していました。
  見習って、きっと店を成功させますので、
  オープンしたらぜひ遊びに来てください。
  できたら、また一実にも会っていただけたら嬉しいです。
  ありがとうございました。

 読み終わって、橘はどうしていいのかわからずにぼうっとした。
 じわじわと鳩尾のあたりが熱くなってきて、思わず口元を押さえる。熱いような、痛いような、覚えのない感覚だった。身体の真ん中に穴が開いて、そこが燃えているような。
 橘は三谷が退職して以来空いたままのデスクを見た。
 なに一つ物のないデスクなのに、そこに座っていた三谷の姿は簡単に思い描けた。当たり前だ、毎日見ていたのだから――「橘さん」と呼びかける、生真面目な顔も、笑う声も思い出せる。
 明日になればそこに三谷が座っていそうな気がするのに、どうしていないのだろう、と考えてしまってから、橘は慌ててそれを打ち消した。懐かしがったり寂しがったりするのはナンセンスだ。
 橘はもう一度メールを読み直した。読み返しても、三谷が自分にどうしてほしくてこのメールを送ったのかさっぱりわからなかった。怒られたいのか? それとも本気で息子に会ってくれと言っているのだろうか。
 考えているうちに腹が立ってくる。
 だいたい、辞めてしばらく経ってからメールというのはどういうことだ。
 本当に言いたいことなら直接言うべきじゃないのか。
 身勝手だし、今いち言いたいことはわからないし、決意表明としてはお粗末すぎるし――まったく、これだから。
(これだからあいつは使えないんだ)
 薄暗くなったフロアで煌々と光るディスプレイを思いきり睨みつけて、橘は勢いよく立ち上がった。
 てきぱきと帰り支度をすませ、不機嫌にまかせて大股でフロアを出て、いつも使うのとは別の路線に乗る。途中の乗り換えの駅で思いつき、たっぷり迷った挙げ句に橘はケーキを買った。
 無難そうなショートケーキと星形をしたチーズケーキで迷って、子供受けがよさそうだと考えてチーズケーキにした。ライオンの絵のついたチョコレートプレートをつけてもらったケーキが白い箱にしまわれていくのを眺めながら、橘は胃のあたりを押さえた。まだ、奥が熱い気がする。ケーキなんて生まれて初めて買ってしまった。
 べつに会いたいわけじゃない、と橘は自分に言い聞かせた。ただ、あいつが馬鹿だからだ。