ちょこよみリンクス

「青いイルカ」火崎 勇(ill.神成ネオ)

あらすじ
交通事故で足を骨折した会社社長・樹の元にハウスキーパーとしてやってきたのは、浪間という若い男だった。最初は仕事ができるのか訝しんでいた樹だったが、その完璧な仕事ぶりから、浪間は樹にとって手放せない存在になっていく。浪間の細かい気配りや優しさから、浪間に惹かれた樹は、彼と恋人の関係に持ち込むことに成功する。そんな中、会社役員の造反から、樹の会社が存続の危機に陥ってしまい…。

本文より抜粋

 壁についていた手で顎を取る。
「波間、今度俺の相手をしろ」
 彼は動揺を見せなかった。
「嫌です」
 という返事も、当然だと思った。
 だが、それに続く言葉は、意外だった。
「恋人なら、…なりたいと思いますが。金銭で身体を売買はしません。絶対に」
 きっぱりとした物言いだった。
 だが…。
「恋人なら、なってもいいのか?」
「私一人と約束なさるなら、構いません」
「お前は、俺が好きなのか?」
 ジョークだと思った。
 こちらがからかったから、それに対する仕返しのようなものだと。
 けれど彼はほんの少し頬を染め、目を逸らした。
「好きか嫌いかと問われるなら、…『好き』です」
「何時から?」
「あなたが私を可哀想ではないと言った時からです」
「それじゃ、最初からじゃないか」
 表情は平静を取り繕っていたが、その耳は真っ赤だった。
「でも樹さんと町村さんのような関係は考えたことはありません」
「今言われて、考えたか?」
「…私は、自分が他人とそういう関係になるのなら、金銭は絶対に介在させたくないというだけです。恋人ならば、そうなるのは必然でしょう? ただそれだけです」
 恥じらいを秘めているにもかかわらず、その口調は妙に事務的だった。
 それ故、不思議に禁欲的な香りがして、そそられた。
 柔順で、真面目で、仕事熱心で、自分とは正反対の位置にいる人間だと思っていた波間が、自分に好意を抱き、それを隠そうとしている。
 いや、実際はたった今告白をしたのだが、それを何事もなかったかのように振る舞おうとしている。
 悪くない気分だった。
「もうよろしいでしょう? リビングにお茶の用意ができてますから、そちらで…」
「恋人なら、俺に抱かれるか?」
 どこまで、本気だ?
「樹さん」
 ひょっとして、最初から全てが芝居だったのかも知れない。見かけは純情そうに見えるが、中身は最初から俺をたらしこむつもりだったのかも。
 そのために町村を田舎へ追い返したのかも知れない。
 そういうしたたかな人間かも知れない。
 だが、たとえそうだったとしても、俺は自分に自信があった。
 波間が張り巡らした策謀の上をいける自信が、彼を愉しみながら溺れずにいる自信が。
「恋人にしてやろう。お前が側にいて、俺に抱かれる限り、俺は他のヤツには手は出さない。金で買うこともしない。波間が本気なら、俺も本気でお前一人を愛してやる」
 他愛のない言葉遊びだ。
 たとえこう言っても、それが実行されるかどうかわかりはしない。お前はこの飾りのような言葉にどう反応する?
「…どなたか、昔の恋人に似てらっしゃるんですか?」
「誰が? お前が? 残念だが、俺は恋人など作ったことはない」
「好きだった方に似ているとか」
「いいや。ここで、俺の世話をしている波間に申し出てる。もちろん、お前の『好き』がそこまでのものでないなら、強引にはしないさ。それでは強姦になる。パワーハラスメントか? そんな状態で抱いても仕方がない」
「本当に、私を相手にするんですか?」
「ああ」
 俺の腕を取っていた彼の手がじわりと熱くなった。
 逸らされていた視線が戻り、正面から目が合う。