「嘘つきは恋に惑う」風見香帆 (ill.端 縁子)

あらすじ
 病気の祖父への仕送りのため、友人も恋人もつくらず貧乏な生活をする自動車修理工の弘名は、半月に一度、ゲイが集まるバーに通うことが秘かな楽しみだった。有名企業の営業という偽りの姿を演じながら、いつものように飲んでいた弘名は、親しみの持てる大企業の子息・師堂から、強引に口説かれてしまう。「一晩、割り切って楽しまないか」と師堂に誘われた弘名は、彼の強さに惹かれ誘いに応じてしまうが…。

(本文より抜粋)

「……さすがに外だからな。ちょっと摘み食いのつもりだったんだが、止まらなくなって悪かった」
 二度目だが、まだとてもこんな扱いには慣れない。弘名はどういう顔をしていいのかわからなかった。
 はあはあと、まだ落ち着かない荒い呼吸をするたびに、真っ白な息が大きく吐き出され、内面の興奮を晒してしまっているようで、いたたまれない。
「……なんか、格好悪いです、俺」
「うん? なにがだ」
「俺ばっかり……その、いかされて」
 恥ずかしいのと恐縮するのとで、弘名は複雑な気持ちだった。
 師堂はそんなことかと、くすりと笑う。
「がっつく年でもないんでね。ゆっくり時間をかけていただくつもりでいるから、気にしなくていい」「い、いただくって」
 それはつまり、最後までするつもりだということだろう。うろたえていると、師堂は真顔で聞いてくる。
「今度会えるのは、再来週の末なんだが、待ち合わせは同じ時間と場所でいいかな」
「……え」
 次に会う約束だと気づいて、咄嗟に弘名は返事ができなかった。
 あれだけ今夜が最後だと、固く決意をしていたというのに、断りの言葉が出てこない。
「それと携帯の番号を教えてくれ。今日のように、急な仕事が入らないとも限らない」
 どうするべきかと弘名は焦った。携帯の番号を教えているのは、工場の人間と祖父だけだ。
 特にバーで出会った関係の人間には、決して教えまいと考えていたのに。
「携帯は……その……」
 どうした、という目で師堂が弘名の顔をのぞきこむ。
 頬に、温かく優しい指が触れた。
 そこからなにか、胸の中が甘く満たされていくような、不思議な感覚が伝わってくる。
 ――駄目だ。
 唇がかすかに震えた。師堂の要求を断ることにためらいがあるのは、単に快楽を与えられたからではない。
 誰かに必要とされること。体温を感じ、抱き締められる心地よさ。デートコースを、肩を並べて優しい言葉を交わして歩き、恋人のように振る舞うこと。
 弘名はそのどれもが未経験であり、師堂と会うまで知らない感覚だった。
 教えられたすべてを忘れ、なかったことにはできない。なまじ楽しさを知ってしまっただけに、失うことが怖くなっていた。
 もう少し。あとちょっとだけ、この夢から覚めたくない。
「…………教えます。再来週の約束も、大丈夫です」
 か細い声で返事をすると、師堂はきつく抱き締めてくる。
 弘名は唇を噛み、胸に理由のわからない痛みを感じながら、目を閉じた。

嘘つきは恋に惑う」は1月31日発売です。

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