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それからすぐに化膿止めと、傷薬が送られてきたが、それ以上に何も取りざたされないことを見ると、改めを上手くかいくぐることはできたのだろう。
飲み薬も塗り薬もよく効き、歪な形の盛り上がったうす桃色の、正体のわからぬ傷跡が出来てゆくのに長い時間は掛からなかった。そして。
綾倉伯爵から、招待状が届いたのは一昨日のことだ。
初めてのことで、気疲れもするだろうから、極内々に、まずは客分として訪れるといい、と、手紙には書かれていた。不安なら、十左も共に、と。
身体が回復した椿はそれに否、と答えることは出来なかった。
親族名乗りもある、今後の援助の依頼もしなければならないだろう。多くあるという、見知らぬ母・香織の遺品も見たいであろうし、親族がいるなら会うべきだと、皆無ではないがそれに近い十左は思う。
届けられた洋装に、椿の身を整えさせた。自分は書生のように、手入れのされた質素な紺の絣の袴に身を包んだ。
あの海を渡るのは二度目で、高男達の恨みの深さを思い知るかのように陸は遠かった。
渡ったときの記憶がないと言う椿にとっては、余計、その遠さが身に染みる心地だっただろう。
綾倉が持つ、港から馬車で、一時間。
そこに綾倉伯爵邸はあった。
敷島が広いと思っていたが、伯爵家の庭はすでに、個人のものとは思えないような広大なものだった。
香織の息子として訪れれば、親族を集め、家人全てを集めての大きな騒動になるだろうから、忍ぶ扱いで椿を招き入れてもらって、正解だった。
本当に内々に、祖父母、実の叔父に当たる当主夫妻、洋行が多い当主に代わって、近海の商船業を切り盛りする次男夫妻、嫁に行った長女がこれ幸いと、小さな子どもを連れての帰省に羽を伸ばし、賑やかに夕食の膳を囲んだらしい。
椿の不遇について、涙の多い夕餉であったと聞いていたが、始終明るく穏やかであったと、何度か塔を訪れた女中が漏らしてくれた。
夕餉が終り、親族に囲まれての茶の時間を、椿がゆっくり過ごすのを、果てが見えないような広大な中庭に面した、控えの間で待っていたが、女中にあれこれと尋ねられるのに疲れてしまって、縁を降りて、壁に寄りかかるような近い距離で、十左は夜風に当たった。
良い屋敷だった。
家人はよく躾けられ、何事に於いても上質ではあったが贅沢ではなかった。客室ばかりはお上の指示通り、華族として、外海からの貴賓に文明国の威信を知らしめすべく、彼らしか手に入れられない舶載品に物をいわせた絢爛豪華なホールであった。しかし、居室は簡浄と言って憚らない、上質且つ清潔である、和の美しさに清しく満ちた空間だ。
香道の家だという。禅に基づく清浄潔斎。身の引き締まるような凛烈な厳かさを湛え、しかしそれは、誰もに優しい、不思議な住まいだ。
椿がここにいるというなら、一人で灯台に帰ろうとも思っていた。それほど椿に相応しい場所に思えた。
椿が逢おうと思ってくれたらいつでも逢える。
それだけでも、この傷を負った意味はあった。
思いさえ通じれば、いつでも逢える。
先に味わった絶望に比べれば、不安にもならないことだった。
「……」
十左は、遮るもののない夜空を見上げた。降るほどの、満天の星だった。
この夜ならば、灯台の灯りは要らないだろう。海もきっと凪いでいる。
錘を軽く付け替えて、明日の昼まで持つように巻き上げてきた。
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