―その1―
(1〜9)
6/8Up!!


―その2―
(10〜19)
6/15Up!!


―その3―
(20〜32)
6/22Up!!



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 それからすぐに化膿止めと、傷薬が送られてきたが、それ以上に何も取りざたされないことを見ると、改めを上手くかいくぐることはできたのだろう。
 飲み薬も塗り薬もよく効き、歪な形の盛り上がったうす桃色の、正体のわからぬ傷跡が出来てゆくのに長い時間は掛からなかった。そして。
 綾倉伯爵から、招待状が届いたのは一昨日のことだ。
 初めてのことで、気疲れもするだろうから、極内々に、まずは客分として訪れるといい、と、手紙には書かれていた。不安なら、十左も共に、と。
 身体が回復した椿はそれに否、と答えることは出来なかった。
 親族名乗りもある、今後の援助の依頼もしなければならないだろう。多くあるという、見知らぬ母・香織の遺品も見たいであろうし、親族がいるなら会うべきだと、皆無ではないがそれに近い十左は思う。
 届けられた洋装に、椿の身を整えさせた。自分は書生のように、手入れのされた質素な紺の絣の袴に身を包んだ。
 あの海を渡るのは二度目で、高男達の恨みの深さを思い知るかのように陸は遠かった。
 渡ったときの記憶がないと言う椿にとっては、余計、その遠さが身に染みる心地だっただろう。
 綾倉が持つ、港から馬車で、一時間。
 そこに綾倉伯爵邸はあった。
 敷島が広いと思っていたが、伯爵家の庭はすでに、個人のものとは思えないような広大なものだった。
 香織の息子として訪れれば、親族を集め、家人全てを集めての大きな騒動になるだろうから、忍ぶ扱いで椿を招き入れてもらって、正解だった。
 本当に内々に、祖父母、実の叔父に当たる当主夫妻、洋行が多い当主に代わって、近海の商船業を切り盛りする次男夫妻、嫁に行った長女がこれ幸いと、小さな子どもを連れての帰省に羽を伸ばし、賑やかに夕食の膳を囲んだらしい。
 椿の不遇について、涙の多い夕餉であったと聞いていたが、始終明るく穏やかであったと、何度か塔を訪れた女中が漏らしてくれた。
 夕餉が終り、親族に囲まれての茶の時間を、椿がゆっくり過ごすのを、果てが見えないような広大な中庭に面した、控えの間で待っていたが、女中にあれこれと尋ねられるのに疲れてしまって、縁を降りて、壁に寄りかかるような近い距離で、十左は夜風に当たった。
 良い屋敷だった。
 家人はよく躾けられ、何事に於いても上質ではあったが贅沢ではなかった。客室ばかりはお上の指示通り、華族として、外海からの貴賓に文明国の威信を知らしめすべく、彼らしか手に入れられない舶載品に物をいわせた絢爛豪華なホールであった。しかし、居室は簡浄と言って憚らない、上質且つ清潔である、和の美しさに清しく満ちた空間だ。
 香道の家だという。禅に基づく清浄潔斎。身の引き締まるような凛烈な厳かさを湛え、しかしそれは、誰もに優しい、不思議な住まいだ。
 椿がここにいるというなら、一人で灯台に帰ろうとも思っていた。それほど椿に相応しい場所に思えた。
 椿が逢おうと思ってくれたらいつでも逢える。
 それだけでも、この傷を負った意味はあった。
 思いさえ通じれば、いつでも逢える。
 先に味わった絶望に比べれば、不安にもならないことだった。
「……」
 十左は、遮るもののない夜空を見上げた。降るほどの、満天の星だった。
 この夜ならば、灯台の灯りは要らないだろう。海もきっと凪いでいる。
 錘を軽く付け替えて、明日の昼まで持つように巻き上げてきた。


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