―その1―
(1〜9)
6/8Up!!


―その2―
(10〜19)
6/15Up!!


―その3―
(20〜32)
6/22Up!!



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 自惚れて良いならば、と、十左は思いながら、階段を降りた。
 自分の祈るところではないが、結果的に椿が綾倉家へ出向く気になってくれればそれで良い。
 その理由が自分を救いたいが為であるなら、自分こそがどれだけ救われるだろうと、思いながら、十左はそっと、眠った彼を確かめるために、椿の部屋のドアを押し開けた。瞬間。
「!」
 中から、風が強く吹き込んで、十左は思わず息を呑んだ。
 暗いはずの部屋は明るく。
 靡く天蓋の繻子。陽の差し込む部屋。
 重いカーテンが海風に靡く。
 開け放たれたベランダへの扉に、一瞬胸が凍り付いたが。
「椿さま……!」
 先ほどの自分と同じように、バルコニーの手摺りに額を預け、へたり込む椿は素足で。
「……私の幸せは、私が選んではならないものなのか、十左」
 背を向けたままの小さな呟きが、波音に遮られないよう神経を研ぎ澄ませて聞く十左の耳に、ようやく届いた。
「椿さまは、綾倉家に行かれるべきです」
「お前を失って?」
「得るものの方がどれほど多いと思われますか」
 肉親と、幸せと、安全と、豊かさと。
 将来も、いずれ、椿に子供が生まれたら、どれほどにか幸せか。
 考えるだけで、涙ぐみそうになるその幸せを、祈るなと言う方が無理だ。
 そう言うと、椿はしばらく黙り込んだあと、そうか、と、小さく呟いて、小さなため息をついた。
「別れだ、十左」
 決心が付いたのかと、それでも一瞬の鋭い痛みを奥歯を噛みしめて耐えた。
 はい、と頷けるまでの、長い時間の前に椿が先に、空を見た。
「綾倉の、船が見えたら、ここから飛び降りる」
 遺書は書かない。お前が説明しろ。嫌なら後を追っても、斬り殺されても好きにしろ、と、ふてくされた呟きが空に放たれた。
「椿さま」
「お前は私が嫌だという」
「誰も!」
 理不尽な罵りに、さすがの十左も首を振った。
「私がいれば、お前は殺されて、お前がいなければ、私はきっと、綾倉の家で死ぬ」
 空を見上げて、歌うように言う椿に、苦しさが、溜まらなくなって。
「……御願いです、椿さま」
 気が付けば、出逢った幼い日から、この人の幸せばかりを祈り続けてきたのだ。
 広い庭で、獣の山で、口を噤んだこの塔で、ひとときも絶えることなく。
「――――どうか、お幸せに」
 どうすれば、説得できるか。一度だけでも無理矢理綾倉の家に連れて行けば、気も変わるのか。
 そんなことを、もう、止めどなく考えることしかできなくなった十左の耳に。
「……お前にも、私の幸せが解らないのか」
 裏切られたような、悲しい呟きが、十左の胸を刺した。
 その刃は、酷く嬉しく、自ら深く抱き込みたくなるかの尊い剣だった。そして、またしても自分は彼の、取り返しの付かない枷となるのかと思うと、本物のそれで斬りつけられるより、痛んで苦しくて堪らなかった。
 見張らなければならないと、十左は思った。
 椿はたおやかに、雅に見えても、酷く頑なで潔い。
 戯れ言でも脅しでもなく、飛び降りると言ったら、飛び降りるだろう。
 船影の気配を椿より先に察して、手打ち覚悟で、椿を力ずくで取り押さえ、綾倉伯爵に引き渡す。
 悲惨な別れになるだろうと、十左は思った。
 詰られて、きっと泣かれて、嫌われてしまうかもしれない。
 それでも、と、俯く十左の耳に。
「焼き印など、……消えてしまえば良いのに」
 不意にはっきりと、そんな涙声の呟きが聞こえて。
 白い、足袋かとまごうような美しい足の裏を見せてへたり込む、椿の蹲った華奢な背中を。
 十左は、突かれたような鮮やかな感覚を持って、眺め見た。


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