|
|
船着き場から、ほんの短い岩場を歩いて、短い海藻の生えた塔の入り口をくぐる。
暗く湿ったそこから塔の内部に円を描くようにある階段を上り、決して潮に浸らない場所にある、厨(くりや)と、応接の間、自室と、元千代が使っていた部屋の前をすぎて、空にほど近い、軽い踊り場の前にあるドアが彼の起居する部屋だった。
「…」
海に向かって開け放たれたベランダ。
次の土産品にすると言っていた、裂けた繻子の天蓋が風に揺られて、褪せた色の赤い緞通を撫でる。
その中に埋もれるようにして。
細い手首が持ち上げられた。
「お祖父様は、帰ったの?」
眼が、見えない振りをする癖がまだ残っているのか、手を取れと強請るのか。
十左は、やはり、口が利けぬ振りをしていたときのままの仕草で差し伸べられたその手を取り、けれど、はい、と、確かに返事をして、その冷たい柔らかい手のひらに頬を押し当てて頷いた。
「波も凪ぎ、無事に」
彼が来ると、不思議なほどに波が凪ぐ。彼の操る舳は海神(わだつみ)の枝から切り出され、彼の思うとおりに船は進めと海が命じるが如くに。
「そう…。忙しいのだろうにね」
老人はただ、椿を見舞えるのが嬉しくてたまらないから何も言わないが、傍の執事が、華族専用の(十五)銀行の役員である彼が如何に多忙か、そして、任せたとは言え、奥向きでは相変わらず頭と戴く彼が、家を離れるのが如何に大変かを説くのだ。
当の伯爵は、それを鬱陶しがって、耳を貸すなと、苦い顔で払いのけるように言った。
もう、何も心配はない。飢えることも、椿の身体のことも。
食は望めば積み上げられ、椿の熱が高い日は御典医だったという医師が塔に詰める。
「十左」
少し色の悪い唇が軽く開いてそう言うのに。
「……口を…吸って…?」
甘えて囁かれれば目眩がしそうだ。
十左は、椿を深く布団に埋もれさせたまま、重ねた唇をゆっくりと深く吸った。
上唇も、下唇も。甘い舌も。代わる代わる、紅く染まるまで。
「すみません……」
そうしたあと、どうしていいか解らなくていつもそう言う自分に椿は必ず、馬鹿だね、と言って笑った。
椿は布団の中で、うっとりとため息をついて、目を閉じるような遅い瞬きをしてから。
「お祖父様は、随分お前を見込んでいてね」
昨日から、目が回って起きあがれない椿は、青い顔で笑いながらそう言った。
「屋敷に来るときは、お前もきっと連れてこいと」
私より歓迎されているようだよ、と、いたずらっぽく布団の中で、椿は笑った。
「俺は行けませんよ」
寂しく笑って、十左は応えた。
いけるはずなどない。身分違いはもとより、自分は――――罪人だ。
「……椿さま、僭越だと思いますが」
思い上がりと、からかわれても当然のことだ。
「椿さまは、綾倉家に行かれるがよいと、思います」
|
|